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「財界の守護神」 高橋是清

今日7月28日は、明治・大正・昭和期の財政家で第20代内閣総理大臣をつとめた高橋是清(たかはし これきよ)が、1854年に生まれた日です。

江戸幕府の御用絵師の私生児として生まれ、まもなく仙台藩の足軽高橋家の養子になった是清は明るく育てられ、11歳の時、横浜のアメリカ人医師ヘボンの私塾で英語を学びました。1868年13歳の時、藩命でアメリカに渡りましたが、アメリカ人の貿易商に学費や渡航費をだましとられたうえ、ホームステイ先の親にもだまされて売り飛ばされ、牧童や葡萄園で奴隷のような生活を強いられるなど、苦労を重ねながら勉学にはげみました。

1868年に帰国すると、サンフランシスコで知りあったた森有礼に推薦されて大学予備門の「開成学校」に入り英語の教官になって、俳人の正岡子規や、のちにバルチック艦隊を撃滅した海軍中将・秋山真之らたくさんの若者に英語を教えました。1881年には農商務省の外局として設置された特許局の初代局長に就任して、日本の特許制度を整えましたが、是清が頭角をあらわすのは、1892年に日本銀行に入ってからです。事務主任から、翌年には西部支店長、日清戦争時には戦時資金調達に業績あげ、1899年には副総裁にまで出世しました。

そして、日露戦争が発生した際に、同盟国の英国に乗り込んで公債引受けを要請。投資家たちが兵力差による日本敗北予想、日本政府の支払い能力不安、軍費提供が建前としての中立違反となるなど懸念を示したのに対し、「日本国は過去に外債・内国債で一度も利払いを遅延したことがない」と敢然と言いいきって、戦費調達を成功させました。是清は、この功績により貴族院議員に勅選されたばかりでなく、1911年には日銀総裁となり、1913年第1次山本権兵衛内閣の大蔵大臣に就任、1921年には原敬暗殺のあとを受けて、第20代内閣総理大臣に就任、同時に立憲政友会の第4代総裁となります。

しかし、党内の対立から翌年6月に辞職。その後、政友会総裁を田中義一に譲って政界を引退しました。しかし、1927年の金融恐慌に際し、田中義一に懇請され3度目の蔵相に就任。金融恐慌に対し、支払猶予緊急勅令(モラトリアム)や日銀の特別融通などで事態を収拾、沈静化の見通しが立つと在職42日で辞職。以後、犬養毅、斎藤実、岡田啓介3内閣の蔵相として、世界的不況下の困難な時期に、日本経済を立て直すために腕をふるいました。そのため、松方正義と並び「財界の守護神」 と讃えられました。

しかし、健全財政主義を掲げて軍部と対決し、1936年度予算編成にあたっては、閣議で、国防のみに専念して悪性インフレを引きおこすことになると批判したことで、軍部の激しい反発をうけました。そして、軍部との対立の中、岡田内閣蔵相在任中の1936年2月26日の朝、陸軍将校数名に自宅を襲われ、暗殺されてしまいました。<2・26事件>


「7月28日にあった主なできごと」

1750年 バッハ死去…宗教的なお祈りや日ごろのなぐさめ程度だった音楽を、人の心を豊かに表現する芸術として高めたバッハが亡くなりました。

1866年 ポター誕生…世界で一番有名なうさぎ 「ピーターラビット」 シリーズ23点の作者ビアトリクス・ポターが生まれました。

1914年 第1次世界大戦勃発…オーストリアがセルビアに宣戦布告したことから、第1次世界大戦がはじまりました。三国同盟を結んだドイツ、オーストリア、イタリアと、イギリス、フランス、ロシアなどの連合国が対立して、戦争はヨーロッパ中に広がりました。イギリスと同盟を結んでいた日本や、アメリカも連合国側に加わり、30か国以上が参戦して、4年以上にわたる戦いをつづけ、連合国側の勝利に終わりました。

投稿日:2011年07月28日(木) 08:14

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)