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サムライ科学者・高峰譲吉

今日7月22日は、世界初のアドレナリン抽出に成功、発明したタカジアスターゼのアメリカ発売など、日米で活躍した化学者・高峰譲吉(たかみね じょうきち)が、1922年に亡くなった日です。

1854年3月、江戸幕府は、日本へやってきたアメリカ海軍将官ペリーと日米和親条約をむすび、1639年から215年間つづけてきた鎖国をやめて、外国とのまじわりを始めました。譲吉は、日本が国を開いた、この歴史に残る年に、越中(富山県)高岡で生まれました。父は加賀藩の医者でした。

日本の新しい足音を聞きながら育った譲吉は、11歳のときから長崎と大阪で英語や医学を学び、18歳で工部大学校(いまの東大工学部)へ入って6年間、応用化学を勉強しました。また、卒業と同時に国からえらばれてイギリスへ渡り、3年のあいだ、外国の進んだ化学を学びました。

帰国した譲吉は、農商務省に入って、和紙の製造や酒の醸造などの研究を始め、33歳のときには人造肥料会社をおこしました。農商務省の出張でアメリカへ行ったときに過燐酸石灰に目をつけ、それを持ち帰って、日本で初めて燐酸肥料の実験と製造に成功したのです。いっぽう、母の実家が造り酒屋だったため少年時代から酒の造り方に興味をもっていた譲吉は、酒のもとになるこうじの研究をして、36歳のときに新しいこうじの作り方を発明しました。

やがて、アメリカのウイスキー会社にまねかれ、シカゴへ渡りました。そして、麦芽を使わないウイスキーの製造に成功して、高峰式ウイスキー醸造の名を高めました。ところが、麦芽業者のはげしい妨害にあい、譲吉は殺されそうになったうえに工場を焼かれ、会社は、涙をのんで高峰式ウイスキーの製造を中止してしまいました。

譲吉は、アメリカでの仕事を失いました。しかし、みじめな思いのまま日本へ帰ろうとはしませんでした。それどころか、小麦のこうじから取りだしたジアスターゼに、脂肪やたん白質をこなす力のあることを発見して消化剤を発明、自分の名の高をとってタカジアスターゼと名づけて、アメリカの製薬会社から売りだしました。また、ニューヨークに高峰研究所を建ててホルモンの研究をつづけ、動物の体内からホルモン結晶体のアドレナリンを取りだすことに、世界で初めて成功しました。

その後も譲吉は、アメリカに住み、68歳で亡くなりましが、亡くなる10年ほどまえ、日本の政府から学士院賞を受け、いちど日本に帰国しました。そのとき「日本にも、ひとつくらい科学研究所がなければいけない」と訴え、理科学研究所建設のきっかけをつくりました。

なお、ワシントンのポトマック河岸にある美しい桜並木は、1912年に東京市長だった尾崎行雄とともに高峰譲吉によって寄贈されたものです。


「7月22日にあった主なできごと」

1363年 世阿弥誕生…室町時代に現在も演じられる多くの能をつくり、「風姿花伝」(花伝書) を著して能楽を大成した 世阿弥 が生まれました。

1822年 メンデル誕生…オーストリアの司祭で、植物学研究を行い、メンデルの法則と呼ばれる遺伝に関する法則を発見した メンデル が生まれました。

1888年 ワクスマン誕生…結核菌を死滅させるストレプトマイシンなど、20を超える抗生物質を発見したウクライナ出身のアメリカ生化学者 ワクスマン が生まれました。

投稿日:2011年07月22日(金) 06:43

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)