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近代教育制度と森有礼

今日7月13日は、一橋大学の創設や、近代的な学校体系を創り上げた森有礼(もり ありのり)が、1847年に生まれた日です。

鹿児島城下の薩摩藩士の家に生まれた森は、藩校の造士館で学びました。当時薩摩藩は、生麦事件でイギリス人を殺傷したことから、薩英戦争に発展、イギリスに賠償金を払って終結しました。西洋から多くを学ばなくてならないとさとった藩は、外国を追い出そうという攘夷から倒幕に方向転換する一方、15名の若者をイギリスに留学させることにしました。その一人に選ばれたのが、19歳の森有礼でした。

見るもの聞くもの、驚きの連続です。たくさんの西洋体験をした森は、豊富な西洋知識を身につけて、戊辰戦争の最中の1868年に帰国、すぐに明治新政府の公議所という立法機関に配属されました。森が性急に欧化主義を主張したのは当然でしたが、それは当時の日本の常識に反するものでした。1869年に「廃刀論」を唱えたために刺客につけねらわれることになったり、「国語を廃止して英語を採用せよ」といって世の失笑をかったりして辞職、1870年に外務省に入って外交官としてアメリカへ渡りました。キリスト教に深い関心を示して、宗教の自由についての論文を英語であらわすなど、さらに開明的考えをもって1873年に帰国しました。

帰国するや、福沢諭吉 や西周らに働きかけて「明六社」を結成。翌年には、『明六雑誌』という機関紙を出して、当時の知識人を結集させ、明治初期の啓蒙運動の中心的役割をはたしました。森は、この雑誌に「妻妾論」を発表して、一夫一婦制に基づく契約結婚を主張、1か月後に、実際に婚姻契約をかわして、世間をあっといわせました。

1875年に一橋大学の前身となる私塾「商法講習所」を開設したあと、外交官として中国(清)駐在公使、1878年に外務次官となって外務卿を補助する立場になりました。イギリス公使をつとめていたときに、イギリスをおとずれた 伊藤博文 と親しくなり、これがきっかけとなって、1885年、第1次伊藤博文内閣のもとで初めての文部大臣に就任。翌年に、帝国大学令、師範学校令、小学校令、中学校令という4つの「学位令」を発表、日本における学位として大博士と博士の二等を定めたほか、さまざまな学校制度を整備し、近代的な学校体系を構築するために奔走しました。

ところが、森の主張にはあまりに開明的なものが多く、1889年2月11日、大日本帝国憲法(明治憲法)発布式典の日、伊勢神宮参拝のおり、不敬があったと誤解されて国粋主義者に切りつけられ、翌日、43年の生涯を閉じてしまいました。


「7月13日にあった主なできごと」

BC100年 シーザー誕生…古代ローマ帝国の基礎を築いた軍人政治家で、「ガリア戦記」を著わした シーザー が生まれました。

1930年 サッカー初のW杯で国交断絶…サッカーのワールドカップの第1回大会がこの日はじまり、13か国の選手がウルグアイの首都モンテビデオで熱戦をくりひろげました。勝ち進んだのはウルグアイとアルゼンチンで、ウルグアイが4対2で逆転優勝しました。ところが、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで暴動がおき、ウルグアイの領事館が襲われて国交断絶にまで発展しました。

投稿日:2011年07月13日(水) 07:13

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)