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アレクサンドロス大王

今日6月10日は、古代マケドニア王で、ギリシア、エジプトを従え、ペルシア帝国を滅ぼして、3大陸にまたがる世界帝国を築き上げたアレクサンドロス(英語読み・アレクサンダー)3世が、紀元前323年33歳の若さで急死した日です。その偉大な生涯により「大王」と尊称されています。

古代マケドニアは、東に大帝国ペルシア、南西に古代ギリシアの2大勢力にはさまれた小国でした。

マケドニア王フィリッポス2世は、紀元前356年に生まれたわが子アレクサンドロスに優れた教育をさせたいと、アテネの哲学者・教育者として著名だった アリストテレス を教師として招きいれました。都ベラから離れたところにつくられた学園で、アリストテレスはおよそ8年間、アレクサンドロスとその学友たちに、ギリシアの基礎的な教養を身につけさせました。「学友」たちはのちにアレクサンドロスを支える将軍となり、師弟はアレクサンドロスが亡くなるまで深い交流をつづけたといわれます。

紀元前338年フィリッポス2世は、18歳で初陣のアレクサンドロスを一軍の将として引き連れてギリシアに出兵。カイロネイアの戦いでアテネ・テーベ連合軍を打ち破り、全ギリシアを制圧しました。この勢いでペルシア東征を計画しましたが、謀反にあって暗殺されてしまいます。

20歳の若さでマケドニア王となったアレクサンドロスは、敵対者を排除して、父の遺志をひきついで紀元前334年、ペルシア東征に出発しました。カリスマ性のあるアレクサンドロスに率いられるマケドニア軍(歩兵3万2千・騎兵5100)は、小アジアを東進し、イッソスの戦いで、10万を誇るペルシア軍を敗走させました。シリア、フェニキアを屈服させるとさらに南下してエジプトに入り、傘下におさめました。

そして紀元前331年、メソポタミア地方に向かったアレクサンドロス軍は、ガウガメラの平原で、20〜30万といわれたダレイオス3世指揮下のペルシア軍を激戦の末に打ち破り、繁栄を誇ったペルシア帝国を滅ぼすことに成功。アレクサンドロスは、休む間もなくインド遠征を目ざしましたが、部下たちはみな疲れきったため、やむなく兵をひき返すことにしました。こうして10年も続いた大遠征が終わりました。

アレクサンドロスは、優れた兵法と、あふれる勇気の持ち主でしたが、アリストテレスの指導を取り入れて、学術も重要視したため、遠征には科学者も同行させていました。ナイル川の水源やペルシア航路などの調査、自分の名をつけたアレキサンドリア市をあちこちに建設し、ギリシアの没落市民をここに移住させました。帝国内に共通貨幣を流通させることにもつとめ、征服地の文化も積極的に取り入れました。このギリシアとオリエントの東西融合文化は、のちに「ヘレニズム文化」とよばれ、アレクサンドロス帝国とその後継王朝へ根づかせ、古代史を大きく変えていくのです。

なお、アレクサンドロスの詳しい生涯につきましては、いずみ書房のホームページで公開しているオンラインブック「せかい伝記図書館」2巻目「アレクサンドロス」をぜひご覧ください。


「6月10日にあった主なできごと」

1017年 源信死去…平安時代中ごろの天台宗の僧で、『往生要集』を著して浄土教を広め「恵心僧都(えしんそうず)」と讃えられた源信が亡くなりました。

1628年 徳川光圀誕生…水戸黄門の名でしたしまれ、徳川家康の孫にあたる第2代水戸藩主の 徳川光圀 が生まれました。

1863年 緒方洪庵死去…大阪に適々斎塾(適塾)を開き、福沢諭吉や大村益次郎らを育てた教育者として、また蘭医として種痘を広め天然痘の予防に尽力した 緒方洪庵 が亡くなりました。

1920年 時の記念日…「日本書紀」によると 天智天皇(中大兄皇子) が「漏刻」という水時計を作り鐘を打った日と記されています。東京天文台と生活改善同盟会はこれを記念して「時間を大切にすることを、改めて考え直そう」と呼びかけ、6月10日を「時の記念日」に制定しました。

投稿日:2011年06月10日(金) 06:38

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)