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『南総里見八犬伝』 の滝沢馬琴

今日6月9日は、江戸時代後期の読本作者で、『南総里見八犬伝』や『椿説弓張月』を著わした滝沢馬琴(たきざわ ばきん)が、1767年に生まれた日です。

江戸・深川の旗本の家臣の家に生まれた馬琴は、幼いときから絵草紙などの文芸に親しみ、7歳で俳句をよんだほどでした。しかし、9歳の時に父が亡くなり、10歳で家督を継ぐも生活は苦しく、14歳で主家を逃げ出しました。下級武士の家に奉公したり、医術や儒学を学んだりしましたが、どれも長続きせず、1年以上も江戸の町を放浪したりもしました。

1790年、24歳の時に戯作者(げさくしゃ)として有名だった山東京伝を訪れ、親しく出入りすることを許され、翌年から京伝の代作を手がけるうち、江戸の本屋にも知られるようになりました。まもなく、本の問屋「蔦屋」に奉公するうちに、見込まれて九段のはきもの商の未亡人のもとに婿入りしました。これがきっかけとなって生活が安定し、著述業に専念できるようになりました。

1796年ころから馬琴の本格的な創作活動がはじまります。読本『高尾船字文(たかおせんじもん)』が馬琴の出世作で、さらに通俗的な黄表紙、草双紙といった物語を書くようになりました。ほぼ同時代に大坂で活躍していた 上田秋成 ら関西の文人とも交流し、関西の名所をめぐりの旅行記を著わしたりもしています。1804年に刊行された読本『月氷奇縁』や、1807年から刊行が開始された源為朝の一代記『椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)』などで馬琴は名声を築き、京伝が読本から手を引いたことから、読本は馬琴の独壇場となります。

そして、1814年から刊行を開始した『南総里見八犬伝』は、1842年まで28年を費やし、馬琴のライフワークとなりました。全98巻、106冊の大作で、上田秋成の『雨月物語』と並び、江戸時代の戯作文芸の代表作の一つといわれています。雄大な構想と流麗な文には定評があり、次のような内容です。

室町時代後期を舞台に、安房(あわ・千葉県南部)の武将里見義実(さとみ よしざね)の娘・伏姫(ふせひめ)の体内から飛びちった、神犬の因縁によって結ばれた8人の若者(八犬士)が主人公。「犬」の字の入った名を持つ八犬士は、それぞれ、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の文字のある数珠の玉と、牡丹の形のあざを身体のどこかに持っています。関八州の各地で生まれた八犬士は、それぞれの苦難をのりこえて里見家に結集、助け合いながら、里見家再興をめざします……。

なお馬琴は、ほとんど原稿料だけで生計を営むことのできた日本初の著述家といわれ、創作著作300余点、随筆や日記など多数を遺し、1848年に亡くなりました。


「6月9日にあった主なできごと」

1671年 ピョートル大帝誕生…ロシアをヨーロッパ列強の一員とし、バルト海交易ルートを確保した ピョートル大帝 が生まれました。

1781年 スチーブンソン誕生…蒸気機関車の実用化に成功したイギリスの技術者 スチーブンソン が生まれました。

1870年 ディッケンズ死去…「オリバー・ツイスト」 「クリスマスキャロル」 「二都物語」 など弱者の視点で社会諷刺した作品群を著しイギリスの国民作家といわれるディケンズが、亡くなりました。

1886年 山田耕筰誕生…『からたちの花』『赤とんぼ』『この道』などの作曲をはじめ、世界的に著名な交響楽団を指揮するなど、国際的にも活躍した音楽家 山田耕筰 が生まれました。
 
1923年 有島武郎死去… 志賀直哉・武者小路実篤らとともに同人「白樺」に参加し、『一房の葡萄』『カインの末裔』『或る女』などの小説、評論『惜みなく愛は奪ふ』を著した 有島武郎 は、この日軽井沢の別荘で雑誌編集者と心中、センセーションをまきおこしました。

投稿日:2011年06月09日(木) 06:30

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)