児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ Top >  今日はこんな日 >  大人気の作曲家マーラー

大人気の作曲家マーラー

今日5月18日は、ウィーンで活躍した作曲家、指揮者として知られるマーラーが、1911年に亡くなった日です。

グスタフ・マーラーは、1860年に当時オーストリア領だった現・チェコにあるボヘミア地方カリントの酒造業を営む家に生まれました。幼い頃から音楽的能力の高かったマーラーは、1875年にウィーンに出て本格的にピアノと作曲法を学び、ウィーン大学ではブルックナーから直接指導を受け、作曲賞をとって1878年に卒業。その後は、指揮者や楽長として、ライプツィヒ歌劇場、ブダペスト王立歌劇場、ウィーン歌劇場、ウィーンフィルハーモニー、ニューヨークフィルハーモニーなどで活躍しました。

いっぽう作曲家としては、1884年ごろから交響曲を書きはじめ、1888年に代表作となる 『交響曲第1番ニ長調「巨人」』 を発表しました。標題となっている「巨人」は、ドイツ・ロマン派の作家ジャン・パウルの詩からとったものですが、巨人的な力強さといったものはなく、第1楽章は「若人、美徳、結実、苦悩などの日々」、第2章「人間的な喜劇」というタイトルををつけ、マーラーが経験してきた青春の喜びや苦悩といったものを結晶させたものです。特に、第3楽章 の甘く親しみやすいメロディは印象的です。

マーラーは生涯に、10の交響曲を発表していますが、師であるブルックナーやワーグナーの影響からかベートーベンをイメージし、およそ半分はベートーベンの第9交響曲「合唱」のような声楽を加え、声と管弦楽の融合をはかっているのが特徴です。また、「生と死」「人生」「子ども」「東洋的諦観」などをテーマに、民謡や童謡のメロディ、ラッパのファンファーレなどを取り入れたり、大胆に転調する技法があちこちに見られます。

特に有名な交響曲は、1902年に完成した『交響曲第5番嬰ハ短調』です。5つの楽章からできていて、憂愁と諦観、解放へのあこがれといったものがテーマになっており、特に 第4楽章(アダージェット) は、1971年に公開された映画『ベニスに死す』のバックグラウンドに使われたことはよく知られています。

近年になって、マーラー人気は年を追うごとに高まり、1980年代にはサントリーの高級ウイスキー「ロイヤル」のさまざまな テレビコマーシャル に使用されたり、日本を代表する世界的な指揮者小澤征爾が、30年近く務めたボストン交響楽団の音楽監督を2002年に去る時『交響曲第9番ニ長調』をラストコンサートで指揮したことなど、今やクラシック界で最も人気の高い作曲家のひとりといわれています。

マーラーの作品では他に、失恋の悲しみや苦悩を歌った『さすらう若者の歌』や、6つの楽章すべてに声楽の入る交響曲『大地の歌』が良く知られています。


「5月18日にあった主なできごと」

945年 紀貫之死去…平安時代の中期に活躍した歌人で、『土佐日記』を著わし、三十六歌仙の1人といわれた 紀貫之 が亡くなりました。

1265年 ダンテ誕生…イタリアの都市国家フィレンツェ生まれの詩人、哲学者、政治家である ダンテ が誕生した日といわれています。代表作は彼岸の国の旅を描いた壮大な長編叙事詩『神曲』、および9歳の時にであった初恋の美少女ベアトリーチェをモデルにした詩文集『新生』。イタリア文学最大の詩人、ルネサンスの先駆者とされています。

1869年 戊辰戦争終結…明治維新で江戸城無血開城後、旧幕府軍をひきいて箱館(函館)の五稜郭を拠点に、蝦夷(えぞ)共和国を樹立した榎本武揚らが降伏し、戊辰(ぼしん)戦争が終結しました。

1872年 ラッセル誕生…イギリスの哲学者・論理学者・数学者で、原水爆禁止や平和運動に力をつくした ラッセル が生まれました。

投稿日:2011年05月18日(水) 06:14

 <  前の記事 「ウィーン会議」 とタレーラン  |  トップページ  |  次の記事 『善の研究』 の西田幾多郎  > 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://mt.izumishobo.co.jp/mt-tb.cgi/2401

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

         

2014年08月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

月別アーカイブ

 

Mobile

児童英語・図書出版社 社長のこだわりプログmobile ver. http://mt.izumishobo.co.jp/plugins/Mobile/mtm.cgi?b=6

プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)