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「画狂老人」 葛飾北斎

今日4月18日は、『富嶽三十六景』や『北斎漫画』など、江戸時代後期に活躍した浮世絵師で、フランス印象派の画家をはじめゴッホ、セザンヌらに大きな影響を与えた葛飾北斎(かつしか ほくさい)が、1849年に亡くなった日です。

1760年に現在の東京・墨田区の貧しい百姓の子として生を受けた北斎は、90歳で亡くなるまで絵ひとすじに生き、生涯に3万点もの作品を発表したといわれています。北斎が絵師としての地位を不動のものにしたのは、70歳のころから3年ほどかけて完成させた傑作『富嶽三十六景』で、自身もようやく満足なものが描けるようになったと次のように記しています。

「6歳のころから絵が好きで、50歳すぎから70歳で絵らしいものが画けるようになったが、やっと、草木、虫魚の骨組みや動きをとらえることができるようになった。おそらく、80歳、90歳になれば、絵の奥義をきわめ、100歳になれば神秘を得、110歳になれば1点、1画、生きるがごとく画くであろう」──そして、「画狂老人」と署名しました。

天命により北斎は、90歳で臨終を迎えましたが、そのときは「天があと10年の間、いやあと5年の間、命保つことを私に許されたなら、必ずやまさに本物といえる画工になり得たであろう」といいながら死んでいったそうです。

下の絵は、北斎の絶筆といわれる『富士越龍図』(長野・小布施町「北斎美術館」所蔵)で、霊峰・富士の麓から黒雲とともに昇天する龍に、自身をなぞらえているとされています。

Hokusai-fuji.png

アメリカの雑誌『ライフ』は1999年に、「この1000年間で、最も重要な功績を残した世界の人物100人」を紹介していますが、日本人として取り上げられたのは、北斎ただ一人でした。

なお、北斎の詳しい生涯につきましては、いずみ書房のホームページで公開しているオンラインブック「せかい伝記図書館」28巻目「葛飾北斎」を、ぜひご覧ください。


「4月18日にあった主なできごと」

1942年 B25が日本を初空襲…米軍のB25爆撃機16機が、東京、横浜、名古屋などを初めて空襲しました。

1943年 山本五十六戦死…太平洋戦争を進めたときの日本海軍大将の 山本五十六 が、ソロモン諸島でアメリカ軍の攻撃にあい、戦死しました。日本海軍の暗号が米軍に解読されたのが原因といわれています。

1955年 アインシュタイン死去…相対性理論によって新しい科学を開き、核戦争に反対をとなえた20世紀最大の物理学者 アインシュタイン が亡くなりました。

投稿日:2011年04月18日(月) 06:33

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)