今日4月1日は、『ディカーニカ近郷夜話』『ミルゴロド』『検察官』『外套』『死せる魂』などの作品で知られるロシアの作家ゴーゴリが、1809年に生まれた日です。
ニコライ・ゴーゴリは、現在のウクライナ共和国にある小村ソロチンツィの、あまり豊かではない地主の家に生まれました。中学時代に小説や演劇に興味を持ち、16歳のとき父が亡くなると、役者をめざして首都ペテルブルクに出ました。しかし、役者としては誰も認めてくれず、下級役人となりました。しかし、卑屈な役人の姿に幻滅して長く続きませんでした。この時期の、薄給にあえぐ生活ぶりは、「ペテルブルクもの」と呼ばれる作品群に生かされています。
1831年に、ウクライナの民話をもとにした初めての小説集『ディカーニカ近郷夜話』を雑誌に発表したところ評判となり、作家としての自信がめばえました。さらに、有名作家プーシキンがゴーリキの才能を高く評価してくれ、以後、長く親交を持つに至りました。そして、ウクライナの歴史を中心とした『ミルゴロド』、ペテルブルクを舞台にした『肖像画』『狂人日記』『鼻』などの中編小説を発表して、作家としての地位を確立していきました。
小説以外にも戯曲も書き、1836年に上演された喜劇『検察官』は、その代表作です。この作品は、ある田舎町の市長や役人が、ほら吹き男を、お忍びで来た検察官と間違えて大歓迎する話で、ペテルブルクの上演では、保守的な人々から総スカンを食ってしまいました。生来、神経質な性格のゴーゴリは、これに嫌気をさし、それからおよそ12年間をイタリアで過ごすことになります。ローマに向かう途中のパリで、プーシキンの訃報を知って衝撃を受けたゴーゴリは、以後の自身の使命は、ロシア民衆を覚醒させ、理想社会へと教え導くことにささげようと決意するのでした。
『外套』(やっとの思いで新調した外套を、追いはぎにとられてしまった役人の悲劇) を書きあげたあと、1842年には未完の小説『死せる魂』の第1部を刊行しました。死んだ農奴の戸籍を買い集める詐欺師チチコフを中心に、悪徳人間たちを通して、腐敗したロシアの恥ずべき姿を見事に描いた傑作で、ゴーゴリは第2部・第3部にチチコフの成長と魂の救済、美と調和を体現する理想のロシアを描く計画でした。しかし、さまざまな批判に自信を失い、精神の衰弱のために執筆は進まず、1852年、苦悶のあまり第2部の原稿を火の中に投げ入れてしまいました。それから10日後、44年の生涯を閉じてしまったのです。
なお、オンライン図書館「青空文庫」では、ゴーゴリの作品 『ディカーニカ近郷夜話』『狂人日記』など(各平井肇訳)を読むことができます。
「4月1日にあった主なできごと」
1173年 親鸞死去…『南無阿弥陀仏』と念仏をとなえれば来世で極楽浄土に生まれかわることができると説く「浄土宗」を開いた法然に学び、その教えを発展させて「浄土真宗」を開いた親鸞が生まれした。
1815年 ビスマルク誕生…プロイセン王の右腕としてドイツ統一をめざして鉄血政策を推進し、1871年にプロイセン王をドイツ皇帝として戴冠させ、ドイツ統一をなしとげたビスマルクが生まれました。
1938年 国家総動員法の公布…1937年7月、北京郊外の盧溝橋での日中の衝突事件に端を発した日華事変は、急速に激化の一途をたどりました。広大な中国の山野で活動する大軍の需要を満たすため、この日国家のすべての人的・物的資源を政府が統制運用できる権限を規定した「国家総動員法」を公布しました。