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『黒馬物語』 のシュウエル

今日3月30日は、黒い牝馬の一生を愛情こめて描いた名作『黒馬物語』を描いたイギリスの女流作家シュウエルが、1820年に生まれた日です。

アンナ・シュウエルはイングランドのヤーマスで生まれました。父は実業家でしたが事業に失敗し続けたため、家庭はあまり豊かではありませんでした。母のメアリは、宗教心のあつい人で、童話などで多少知られた作家でした。

14歳の時、シュウエルに不幸が訪れました。雨の中を学校から帰る途中に転んで両足首を痛め、歩くことができなくなってしまったのです。これが原因で、一生病身ですごすことになりました。馬車を利用することが多くなったために、子馬とふれあうことが多く、馬に対する愛情は人一倍大きなものになりました。

シュウエルには2歳年下の弟フィリップがいて、ヨーロッパの鉄道敷設に携わっていましたが、何人かの子どもを残して亡くなってしまいました。シュウエルは、母といっしょに弟の子どもたちを引取って育てながら、母の童話づくりの手伝いをしたり、ヨーロッパ各地の温泉で湯治をしながら、多くの作家たちに出会い、知識を深めていったようです。

シュウエル唯一の作品といってよい『黒馬物語』は、50歳を過ぎた1871年から1877年にかけて執筆されました。健康の衰えは著しく、ベッドから起き上がるのがやっとというほどでした。自分で執筆できなくなると、口述で母メアリが書き留めて完成、出版されるやベストセラーになりました。

作品は、19世紀後半のイギリスの牧場で生まれた美しい黒馬「ブラック・ビューティ」が語る、一生の思い出という形で書かれています。

母馬や牧夫の愛情を受けて育てられたゴードン家のブラック・ビューティは、気むずかしくても美しい栗毛の牝馬ジンジャー、小さいけれど利口なメリーレッグス、見習いの少年ジョーといった仲間に囲まれ、広大で緑豊かな放牧地で仲間たちと楽しい時間を過ごしていました。

やがてゴードン一家が移住することになると、馬も人も散りぢりになり、ブラック・ビューティもさまざまな人の手に渡っていきます。買われた伯爵夫人に手厳しく扱われ、やがて傷ついた末に貸し馬屋に売られ、次いでロンドンの辻馬車屋に売られます。ある時街角ですっかりやせ細り、精根尽きはてながらも馬車を曳いていたジンジャーに出会いますが、しばらくしてジンジャーの遺体をひいた馬車がビューティの前を通り過ぎていくのでした。

次の雇い主は穀物商人。ブラック・ビューティは、重荷をひかかされた末に、過労で倒れこんでしまって馬市に売られることになります。わずかな価格で農場主に買われますが、そこの厩係は、老馬に見覚えがありました。あのゴードン家の少年・ジョーでした。老馬がビューティだと気づいたジョーにいたわられながら、静かな老後を送るのでした。ビューティは時おり、ジンジャーやメリーレッグスと楽しく過ごしていた昔を思い出すのでした……。


『黒馬物語』は、馬車が盛んに使われていた19世紀のイギリスが舞台になっていますが、発売されるや、馬が虐待されていた当時の社会に大きな問題を投げかけました。この作品ほど、馬という動物に深い愛情がそそがれ、親しみを感じさせるものはなかったからです。アメリカの黒人奴隷問題を投げかけたストー夫人の『アンクルトムの部屋』に対し、「馬のアンクルトムの部屋」といわれるほど、動物愛護のために大きな役割を果たしました。シュウエルは、出版の5か月後に亡くなりました。

なお、『黒馬物語』のやや詳しい内容は、いずみ書房のホームページで公開している「オンラインブック・レディバードブックス100点セット」71巻目『黒馬物語』(抄訳版)、日本語参考訳で読むことができます。


「3月30日にあった主なできごと」

1746年 ゴヤ誕生…ベラスケスと並びスペイン最大の画家のひとりである ゴヤ が誕生しました。

1853年 ゴッホ誕生…明るく力強い『ひまわり』など、わずか10年の間に850点以上の油絵の佳作を描いた後期印象派の代表的画家 ゴッホ が生まれました。

1867年 アメリカがアラスカを購入…デンマーク生まれでロシア帝国の探検家であるベーリングは、ユーラシア大陸とアメリカ大陸が陸続きではないことを18世紀半ばに確認して以来、ロシアは毛皮の貿易に力をそそぎ、1821年に領有を宣言していました。その後財政難に陥ったロシアは、この日アメリカに720万ドルで売り渡す条約に調印しました。1959年、アラスカはアメリカ合衆国の49番目の州になっています。

1987年 ゴッホ『ひまわり』落札…在命中には、わずか1枚しか売れなかったゴッホの作品でしたが、この日に行なわれたロンドンのオークションで『ひまわり』(7点あるうちの1点)が史上最高価格53億円で落札されました。落札したのは安田火災海上保険(いまの損保ジャパン) で、現在は「東郷青児美術館」で公開されています。

投稿日:2011年03月30日(水) 09:26

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)