今日3月29日は、南極点に到達するものの、アムンゼンに先をこされたイギリスの探検家スコットが、1912年に遭難死した日です。
ロバート・ファルコン・スコットは、1868年に、イギリスのデポンポートという小さな町で生まれました。スコット家は、軍人のおおい家がらでした。そこで少年スコットも13歳で海軍兵学校へ入り、19歳のときには、もう、りっぱな海軍士官になって、軍艦に乗りこんでいました。
19世紀から20世紀の初めにかけては、いろいろな国が、地球の果てへの探検に夢中になっていました。探検に成功すれば、自分の国の力を、世界に示すことができたからです。
1901年、スコットは、国が派遣する探検隊の隊長に任命されて、南極探検へでかけました。そして、見渡すかぎりの氷のなかで、2度冬をすごし、さまざまな科学調査をみやげに、1904年に帰ってきました。探検隊の役割は十分果たしましたが、南極点までいけなかったことが、心残りでした。
1910年、スコットは、テラ・ノバ号に乗って、ふたたび南極大陸へ向かいました。こんどは、科学調査よりも、人類最初の南極到達が大きな目的でした。南極点への夢は、まだ、だれも果たしていません。しかし、ちょうど同じころ、ノルウェーの探検家 アムンゼン が、南極点1番のりをめざしていました。
イギリスの名誉のために、アムンゼンに負けてはならないと心に決め、南極大陸へ上陸したスコットは、基地でひと冬すごして準備を整え、1911年11月1日、いよいよ基地を出発しました。ところが、1200キロメートルの氷原を死にものぐるいで越えて、南極点まであと1歩のところまできたとき、スコット隊員たちは、うちのめされてしまいました。犬ぞりのあとやテントが残っていたのです。そして、南極点にかけつけてみると、すでに、ノルウェーの国旗がひるがえっていました。
「負けた。アムンゼンに負けた。ノルウェーに負けた」スコットは、心のなかで叫ぶだけで、声もでません。
隊員をはげまして観測を終え、一夜を極点で明かしたスコットは、重い足を基地へ向けました。しかし、スコットも、4人の隊員も、基地へはたどりつけませんでした。はげしい雪あらしにおそわれ、手も足も凍傷にかかって動けなくなり、眠るように息が絶えてしまったのでした。
「祖国の名誉のために死にます。神よ、家族をお願いします。残念ながらこれ以上書けそうにありません……」これが、手帳に書き残された、最期の言葉でした。でも、スコットの勇気は、今もイギリス国民の誇りになっています。
「3月29日にあった主なできごと」
1683年 八百屋お七の刑死…江戸本郷の 八百屋太郎兵衛の娘お七 (八百屋お七) が、放火の罪で、鈴ヶ森刑場で火あぶりの刑に処せられました。
1925年 普通選挙法成立…従来までは一定の税金を納めた者しか選挙権がなかったのに対し、25歳以上の男子に選挙権を与えるという「普通選挙法案」が議会を通りました。