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古文辞学と荻生徂徠

今日2月16日は、江戸時代中期の儒学者・思想家・文献学者として活躍した荻生徂徠(おぎゅう そらい)が、1666年に生まれた日です。

日本民族の文化の歴史の中で、もっとも華やかに開花した文化のひとつに「元禄文化」があげられます。それまでの文化は貴族か武士による文化でしたが、17世紀終わり頃から18世紀初頭にかけておこった元禄文化は、主に京都・大阪など上方の町人を中心に発展した、まったく新しいものでした。新しい文化は、武士の学問だった儒教にも影響を与え、日本特有の学問にうちたてようとする人たちが現われました。荻生徂徠もその一人で、「古文辞学派」という儒学の一派をおこした人です。

徂徠の父は、のちに5代将軍となる 徳川綱吉 (在位1680〜1709年)に仕える医者でしたが、1679年綱吉の怒りにふれ、江戸を追われてしまいました。14歳にして家族で母の故郷である上総の本納村(今の茂原市)に移りすみました。徂徠は、ここでたくさんの漢籍や和書などを13年あまりも独学し、のちの学問の基礎をつくりました。そして、1690年、許されて一家とともに江戸にもどり、芝増上寺の近くに塾を開きましたが、当初は貧しく食事にも不自由していたのを、近所の豆腐屋に助けられたというエピソードが残されています。

1696年、将軍綱吉の側近で川越藩主の柳沢吉保に認められた徂徠は、吉保の相談役となりました。大石良雄 率いる「赤穂浪士の乱」をおこした浪士たちの処置をめぐり、吉保に意見を求められ、切腹を上申したことはよく知られています。将軍からも信頼されるようになり、やがて500石を与えられ、政治上のアドバイスをするまでになりました。しかし1709年、徂徠44歳のとき、綱吉の死去にともなって吉保も失脚、日本橋茅場町に居を移して私塾を開き、学問に専念するようになりました。

徂徠は、はじめのうちは儒学の一派で南宋でおこった「朱子学」を学びましたが、しだいに孔子や孟子らの教えを説いた書物を読み進めるうち、聖人といわれる孔子や孟子が、正しい人間の生き方の教えを説いただけでなく、政治や社会のしくみを大切にしていることがわかりました。そこで、聖人たちの生きていた時代に注目し「古文辞学」を重視する儒学の新しい派を形成し、幕府の政治にあてはめて考えるようになりました。1722年以後は、「享保の改革」を推し進めた8代将軍 徳川吉宗 の信任を得て、『政談』などを著し、政治のあり方や進め方を進言しています。1728年、多くの門弟を育てて63歳で死去しましたが、その文献学的手法は、本居宣長 ら、国学にも影響を与えています。


「2月16日にあった主なできごと」

1190年 西行死去…平安時代の末期の僧侶で歌人の 西行 が亡くなりました。西行は、旅のなかにある人間として、また歌と仏道という二つの道を歩んだ人間として、宗祇や芭蕉らたくさんの人に影響を与えました。

1222年 日蓮誕生…鎌倉時代中期の僧侶で、法華経に基づく教えこそが唯一の仏教の真髄と説く日蓮宗(法華宗)を開いた 日蓮 が生まれました。

1883年 天気図…東京中央気象台が、全国11か所の測候所の観測記録を電報で取りよせ、この日わが国で初めて天気図を作成。3月1日からは毎日印刷して発行されるようになりました。

1922年 大隈重信死去…明治時代に参議・外相・首相などを歴任した政治家で、東京専門学校(のちの早稲田大学)を創設させた 大隈重信 が亡くなりました。

1959年 カストロ首相誕生…事実上アメリカの傀儡(かいらい)政権だったキューバのバチスタ政権を、農民の支持を得て武力で倒したカストロが、ラテンアメリカ最初の社会主義国を作りあげ、この日首相に就任しました。

投稿日:2011年02月16日(水) 06:13

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)