児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ Top >  今日はこんな日 >  笑いと哀歓の作家・井伏鱒二

笑いと哀歓の作家・井伏鱒二

今日2月15日は、昭和期に活躍した作家で、『幽閉』(『山椒魚』)で認められてから、『ジョン万次郎漂流記』『駅前旅館』『黒い雨』など、独自の作品を著した井伏鱒二(いぶせ ますじ)が、1898年に生まれた日です。

広島県の旧家に生まれた井伏鱒二は、5歳のときに父を亡くし、祖父にかわいがられて育ちました。中学生のころは画家を志し、卒業すると3か月間奈良・京都を写生旅行をし、作品を持ってある有名画家に入門を申しこんだところ断られてしまいました。やがて文学に転向することを決意して、早稲田大学の仏文科で学ぶかたわら、日本美術学校で絵の勉強にも励みました。しかし1921年、井伏は担当教授と衝突したこと、無二の親友が自殺したことなどから大学を中退してしまいます。

井伏が本格的に文学活動をするようになったのは、1923年に同人誌「世紀」に参加したころからで、岩屋に閉じ込められた山椒魚の驚きや悲しみをユーモラスに描いた処女作『幽閉』で、新進作家として名が知れるようになりました。『幽閉』は1929年に改作され『山椒魚』の題名で再発表したほか、『鯉』『屋根の上のサワン』などのユーモアと詩情豊かな作品を次々に生み出していきました。

1930年には、初の作品集『夜ふけと梅の花』を出版、1938年には『ジョン万次郎漂流記』で、直木賞を受賞して作家としての地位を確立します。戦時中は陸軍に徴用され、日本軍が占領したシンガポールに駐在して、現地で日本語新聞の編集に携わるなどたくさんの戦争体験は、戦後の作品に大きな影響を与えています。

第2次世界大戦後の代表作には、『遥拝隊長』や、映画でも評判となった『駅前旅館』『本日休診』など、巧みな話術による独特の笑いと哀歓は、多くの人たちを魅了しました。いっぽう、広島の原爆の悲劇を描いた『黒い雨』は、市民の日常生活の場からさらりと描いた作品ではあっても、戦争へのうらみが全編にあふれる佳作として、1966年に野間文芸賞を受賞したばかりか、文化勲章も受章しました。

なお井伏は、ヒュー・ロフティング著『ドリトル先生物語シリーズ』(12巻)の翻訳も遺して、1993年95歳で亡くなりました。


「2月15日にあった主なできごと」

1564年 ガリレオ誕生…イタリアの物理学者・天文学者で、振子の等時性や落下の法則などを発見するなど、近代科学の父といわれる ガリレオ が生まれました。

1618年 河村瑞賢誕生…江戸の大火事の際、木曾の材木を買い占めて巨富を得、事業家として成功した 河村瑞賢 が生まれたといわれる日です。瑞賢は、東回り航路や西回り航路を整え、流通経済を発展させたことなどでも知られいてます。

1877年 西南戦争はじまる…西郷隆盛 は、私塾の生徒や明治新政府への不満をいだく士族ら1万数千人を率いて鹿児島を出発、熊本城を包囲しました。この乱は、「西南戦争」または「西南の役」などとよばれるわが国最後の内乱でした。戦争は9月24日まで続き、城山に籠城していた西郷らの切腹で終わりました。

投稿日:2011年02月15日(火) 06:52

 <  前の記事 武士の反乱と平将門  |  トップページ  |  次の記事 古文辞学と荻生徂徠  > 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://mt.izumishobo.co.jp/mt-tb.cgi/2333

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

         

2014年08月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

月別アーカイブ

 

Mobile

児童英語・図書出版社 社長のこだわりプログmobile ver. http://mt.izumishobo.co.jp/plugins/Mobile/mtm.cgi?b=6

プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)