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武士の反乱と平将門

今日2月14日は、武士による独立国家を、関東に築こうとした平将門(たいらの まさかど)が、940年に亡くなった日です。

10世紀はじめの関東に、桓武天皇の血すじをひく平氏が、豪族として力を伸ばしはじめていました。平将門は、その平氏の一族平良将の子として生まれました。良将は、蝦夷をおさえるためにおかれた鎮守府の将軍でした。

将門は、少年時代に京都へのぼって、貴族の藤原氏につかえました。将来、強い権力をもつために、朝廷からおくられる高い官位がほしかったからです。ところが、10数年後に、望むような官位をもらえないまま、すでに父が亡くなった故郷へ帰ってみると、将門が父からゆずりうけた領地を、おじの国香(くにか)、良兼、良正が自分たちのものにしていたのです。

将門は、領地を返してくれるように、何度もおじたちにたのみました。でも、おじたちは、何の返事もしないばかりか、将門が新しく土地をひらこうとすることにも妨害を加え、さらには、大軍をひきいて攻めたててきました。

将門は立ちあがりました。初めは不意をつかれて苦戦でした。しかし、憎しみをもやして兵をたてなおすと、おじたちの連合軍を一挙にやぶり、国香を殺してしまいました。そののちも良兼、良正との戦いはつづきましたが、将門はことごとくうちやぶり、35歳のころには関東一の武将として、おそれられるようになりました。

939年、将門を悪い運命へひきずり込む事件がおこりました。朝廷の政治に不満をいだく常陸国(茨城県)の藤原玄明をかくまい、国の役所の国府を攻めて焼きはらったのです。しかも、勢いにのって、下野国(栃木県)から相模国(神奈川県)、駿河国(静岡県)へと勢力をのばし、やがて下総国(茨城県)に城をきずいて「わたしは新皇だ」と名のったからたまりません。

「将門は、朝廷にはむかう国賊だ。ただちに討ってしまえ」

朝廷は、藤原忠文を征夷大将軍に任命して、将門を討つ軍を関東にさしむけてきました。将門は、下総に陣をしいて敵をまちうけました。ところが、忠文の軍がやってくるまえに、兵を休めているところを国香の子の貞盛らの兵におそわれ、将門は頭に矢をうけて、あっけない最期をとげてしまいました。天下をとるほどの野望にもえていた将門は、このとき、まだ40歳にもなっていませんでした。

同じころ瀬戸内海でおこった藤原純友の反乱と、将門によるこの関東での争いをあわせて、承平・天慶の乱といい、武士が勃興するさきがけとなったのでした。


「2月14日はこんな日」

バレンタインデーとチョコレート…269年のこの日、ローマ皇帝が禁止していた兵士の結婚を、バレンタイン司祭が隠れて結婚させたことで死刑となったことを記念して欧米では「愛の日」とされ、若い男女が好きな相手に愛の手紙やプレゼントを贈る風習がありました。また、うるう年の2月29日のことを英語でleap year(跳躍の年) といい、女性から結婚の申し込みが許される日とされていました。この2つの西洋の習慣にヒントを得て、ある日本の菓子メーカーが、女性から好きな男性にチョコレートを贈りましょうと宣伝をしはじめ、1965年頃から定着しはじめました。そのため、女性が男性にチョコレートを贈るという習慣は、日本独特のものです。


「2月14日にあった主なできごと」

1779年 クック死去…キャプテン・クックのよび名で知られ、世界の海を縦横に走り回って、さまざまな業績をのこした18世紀の海洋探検家 クック が亡くなりました。

1867年 豊田佐吉誕生…機織機の研究と改良に生涯をささげて日本の紡績産業の発展に力をつくし、「トヨタ自動車」をはじめとするトヨタグループ企業の基礎を築いた 豊田佐吉 が生まれました。

投稿日:2011年02月14日(月) 06:26

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)