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奈良の大仏と行基

今日2月2日は、奈良時代に、日本で初めて朝廷から大僧正という高い位をさずけられた行基(ぎょうき)が、749年に亡くなった日です。

渡来人の子孫として、668年に河内国(いまの大阪府)で生まれた行基は、15歳で、奈良の薬師寺に入って僧になりました。

母に孝行をつくしながら長い修業をつみ、42歳のときに母を失ってからは寺をでて町や村をあるき、貧しい人びとに仏の教えを説いてまわりました。また、口で教えを説くだけではなく、自分が先に立ってはたらき、田の水がたりなくて困っている農民や水害に苦しんでいる人びとのために、池やみぞを掘り、道を作り、土手をきずき、橋をかけました。布施屋という無料の宿泊所を建てて、家のない人たちにも、暖かい手をさしのべました。

そまつな黒い衣を身につけた行基を、だれもが心から敬い、仏の教えが聞けるときには、数千人もの人たちが集まるようになりました。ところが、朝廷は「生き仏さま」を「乞食坊主」とよんでにくみ、やがては、行基が寺のそとで仏教を広めるのを厳しくとがめるようになりました。

そのころは、人びとの苦しみを救うことよりも、国のために祈ることが仏教の役目だったからです。しかし、行基は、どのようにとがめられても、貧しい人びとのためにつくすことを、やめようとはしませんでした。

743年、さまざまな国の乱れに心をいためていた 聖武天皇 は、奈良の金鐘寺(東大寺の前の名まえ)に大仏を作って、国の平和を祈ることにしました。すると、このとき朝廷は、行基に大仏づくりに力をかしてくれるようにたのみました。何万人、何十万人の人手がいる大仏の建立には、人びとに慕われている行基の助けが必要だったのです。

「世のなかの不安をなくするためになら、やりましょう」

行基は快くひきうけ、多くの信者たちといっしょに銅や木材などの寄付を集め、大きな木材を運ぶための道や橋を作り、力のつづくかぎりはたらきました。

大仏は、およそ10年の月日をかけて、752年にみごとにできあがりました。でも、完成を喜ぶ人びとのなかに、行基のすがたはありませんでした。77歳のときに大僧正の位をさずけられ、大仏が完成するまえに、数えきれない信者のなみだに見送られて、81歳の生涯をとじていたのでした。


「2月2日にあった主なできごと」

962年 神聖ローマ帝国成立…ドイツ王オットー1世は、教皇ヨハネス12世より帝冠を受け、神聖ローマ帝国が成立しました。現在のドイツ、オーストリア、チェコ、イタリア北部を含む帝国は、ナポレオンによってその名称が消されるまで、844年も存続しました。ただし大小の国家連合体であった期間が長く、この中から後のハプスブルク家が支配するオーストリア帝国やプロイセン王国などドイツ諸国家が成長していきました。

1074年 藤原頼通死去…父 藤原道長 からゆずり受けていた宇治の別荘を「平等院」とし、極楽浄土といわれる鳳凰堂を建てた 藤原頼通  が亡くなりました。(平等院鳳凰堂は、10円玉の表に描かれています)

1848年 アメリカ・メキシコ戦争終結…1846年にテキサスの国境線をめぐる紛糾で始まった米墨両国の戦争は、この日アメリカが勝利して終結しました。その結果、ニューメキシコがアメリカの領土となりました。

1907年 メンデレーエフ死去…ロシアの化学者で、物質を形づくっている元素の研究をつづけ「元素の周期律表」を作成した メンデレーエフ が亡くなりました。

1970年 ラッセル死去…イギリスの哲学者・論理学者・数学者で、原水爆禁止や平和運動に力をつくした ラッセル が亡くなりました。

投稿日:2011年02月02日(水) 06:05

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)