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核兵器反対運動の指導者・ラッセル

今日2月2日は、イギリスの哲学者・論理学者・数学者で、原水爆禁止や平和運動に力をつくしたラッセルが、1970年97歳で亡くなった日です。

「おおくの人びとの悪いおこないに、そのまま従ってはいけません。自分が正しいと信じることを、やりとおしなさい」

12歳のバートランド・ラッセルの心に、祖母のこの言葉は深くやきつきました。

1872年、イギリス貴族の家に生まれたラッセルは、小さいときから、ものを深く考えるのが好きな少年でした。18歳でケンブリッジ大学に入学すると、哲学と数学を学びました。そして優秀な成績で卒業したのち、ドイツやフランスを訪れ、社会問題に関心をもつようになりました。

第1次世界大戦が起きると、ラッセルはまっ先に戦争に反対しました。戦争とは、人間のもっともおろかな行動であると信じていたからです。ラッセルは、講演や文章によって、自分の反戦の意見をどうどうと発表しました。そのため、教師をくびになるなどの弾圧を受けましたが、自分が正しいと信じたことは、まげませんでした。4か月間、監獄に入れられたこともありました。

ラッセルは、それでも負けてはいませんでした。次つぎに書物を出し、社会問題についてばかりではなく、哲学、数学、論理学についての研究も発表しました。1950年には、これらが認められて、ノーベル文学賞があたえられています。

やがて第2次世界大戦が始まるとラッセルは、ナチス・ドイツを全人類の敵として、ドイツ軍と戦いますが、終戦ののちには、それまで以上に、反戦運動に力をそそぎました。

とくに、日本の広島や長崎に投下された原爆に、大きなショックをうけました。

「原水爆戦争になれば、人類はほろびる。この地球上から、原水爆をなくさなければいけない。アメリカやソ連など、考え方のちがう国どうしでも、おたがいに話しあいながら仲よくする以外に、平和への道は生まれない」

1955年に、科学者アインシュタインなどとともに出した声明は、そのごの世界の原水爆禁止運動のもとになりました。

ツルのようにスマートなからだで、ワシのように鋭い目をもったラッセルは、ほぼ1世紀という長い生涯をかけて、自分の信じる道をあゆみつづけました。

イギリスが生んだ偉大な哲学者であるラッセルの仕事は、世界で認められ、日本でも「日本バートランド・ラッセル協会」ができました。そして、思想の研究や、平和と幸福を願った活動が長くつづきましたが、現在は活動が休止されているのは残念です。

以上は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中)15巻「キュリー夫人・ライト兄弟・ガンジー」の後半に収録されている7名の「小伝」をもとにつづりました。近日中に、300余名の「小伝」を公開する予定です。

「2月2日にあった主なできごと」

962年 神聖ローマ帝国成立…ドイツ王オットー1世は、教皇ヨハネス12世より帝冠を受け、神聖ローマ帝国が成立しました。現在のドイツ、オーストリア、チェコ、イタリア北部を含む帝国は、ナポレオンによってその名称がかき消されるまで、844年も存続しました。ただし大小の国家連合体であった期間が長く、この中から後のハプスブルク家が支配するオーストリア帝国やプロイセン王国などドイツ諸国家が成長していきました。

1848年 アメリカ・メキシコ戦争終結…1846年にテキサスの国境線をめぐる紛糾で始まった米墨両国の戦争は、この日アメリカが勝利して終結しました。その結果、ニューメキシコがアメリカの領土となりました。

投稿日:2009年02月02日(月) 09:16

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)