今日12月13日は、『蒲団(ふとん)』『田舎教師』などを著し、島崎藤村と並び自然主義文学を代表する作家といわれる田山花袋(たやま かたい)が、1871年に生まれた日です。
今の群馬県館林市の代々藩士だった家に生まれた田山花袋は、12歳から漢学塾で漢詩文を学び、和歌や西洋文学にも親しみました。西南戦争で父が戦死したあと、上京して書店員をするなど帰郷と上京をくりかえすうち、作家をこころざすようになりました。そして1891年、尾崎紅葉に弟子入りし、文学の指導を受けました。
やがて小説家、新体詩人として評価されるようになり、1896年に国木田独歩や柳田国男らと詩集『抒情詩』を刊行、花袋はここに40編の詩を収めました。フランスの作家モーパッサンの影響を強く受けた花袋は、1902年に『重右衛門の最後』を発表しました。この作品は、現実をしっかり観察し、ありのままをつづる自然主義の考え方の先駆けといわれ、これによって作家としての力量が認められるようになりました。
1903年に師だった尾崎紅葉が亡くなったころから自然主義文学の分野を自覚し、評論『露骨なる描写』や小説『少女病』を発表して、新しい文学の担い手として活躍するようになりました。1906年に博文社から雑誌『文章世界』が創刊されると花袋は編集主任となり、雑誌は、自然主義文学の拠点となりました。
そして代表作となる『蒲団』を1907年に発表、女弟子に対する中年作家の心理を、ありのままに告白した小説でした。女弟子に去られた作家が、彼女の使用していた蒲団に顔をうずめて涙するといった描写は、読者や文壇に大きな衝撃を与えました。続いて長編小説『田舎教師』(有能でありながら貧しいため上京できず、田舎の小学校教師として一生を終えた青年の苦悩や悲哀を浮き彫りにした作品)を書き下ろし、『破戒』を著した島崎藤村と並んで、代表的な自然主義作家といわれるようになりました。
以後の花袋は、『一兵卒の銃殺』などの小説を精力的に発表したほか、日本全国の温泉をめぐった紀行文も多く残しています。晩年には歴史小説も手がけましたが、1930年に58歳で亡くなりました。
なお、オンライン図書館「青空文庫」では、『蒲団』や『田舎教師』など花袋の代表作24編を読むことができます。
「12月13日にあった主なできごと」
1797年 ハイネ誕生…『歌の本』などの抒情詩をはじめ、多くの旅行体験をもとにした紀行、批評精神に裏づけされた風刺詩や時事詩を発表し「愛と革命の詩人」といわれたドイツの文学者ハイネが生まれました。
1901年 中江兆民死去…フランス革命の精神的導きをしたことで名高い ルソー らに学び、自由民権思想を広めた明治期の思想家中江兆民が亡くなりました。
1937年 南京大虐殺…同年7月、北京郊外の盧溝橋近くで日中両軍が衝突(盧溝橋事件)して全面戦争になっていましたが、日本軍は当時の中国の首都南京を占領し、軍人ばかりでなく、女性や子どもを含むたくさんの市民を殺しました。この日の犠牲者は、中国側の発表では30数万人、日本の研究でも3万人以上とされていますが、いまだに真相はわかっていません。