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「宋」時代の名文筆家・王安石

今日11月11日は、中国「宋」の時代の優れた政治家・文筆家の王安石が、1021年に生まれた日です。

中国の宋の時代は、勢いのある時代でした。しかし国力をのばそうと何度も戦争をくり返したため、国の資金が不足して経済が行きづまっていました。しだいに社会全体が傾く気配を感じて、政治のたて直しを求める声が高まりました。豊かな知識を持つ人たちが、それぞれ対策を考えましたが、その中で注目された人が、王安石です。

安石は、地方の役人でした。すぐれた能力を見こまれて、中央に招かれることもありましたが、そのつど現場での仕事を希望して断りつづけていました。ところが、新しく神宗が皇帝に即位すると、安石を顧問として中央の政界に呼び出しました。

安石は、山ほどたまっている問題を、的確に判断し処理して行きます。予想以上のすぐれた能力を認められて、2年後には宰相にとりたてられました。

あるがままの社会をするどく見つめ、民衆の生活にあった政策を次つぎに実行しました。安石は、経済をたて直し、国を安定させるためには、金貸しや地主、大商人などよりも、力の弱い商人や貧農を第1に救うべきだと考えていました。地方の役人をしていたころ、人びとに、毎日接して養われた考えです。皇帝に信頼された安石は、す早い決断で思い切った『新法』とよばれる制度をつくりました。

「青苗法」は、農民が1年のうちでもっとも苦しい時期に、国の貯蔵米や種もみを貸しつけ、収穫期にわずかな利子といっしょに返させるというものです。町の貧しい商人にも、市易法で安い利子で金を貸しました。「均輸法」は都と産地のあいだの流通がなめらかにいくようにしたものです。「募役法」では、これまで国の仕事を人びとにむりやり押しつけていたものを、仕事のかわりに金をおさめさせ、それで人をやとって仕事をさせる方法をとりいれました。そして、労役をまぬがれていた役所や寺院の人たちにも、金をださせることをつけくわえました。

大商人などがもうけすぎている分を国の財産とし、貧しい商人や農民の暮らしを安定させて、国をゆたかにしようとした政策です。しかし、大商人や大地主たちは反対しました。その先頭に立ったのが司馬光や鴎陽修です。安石をはげしく非難しましたが、安石はくじけませんでした。やがて安石は、『新法』をまもる人に宰相をひきつぎ、引退して故郷に帰りました。それから10年後、神宗が亡くなり、宣仁太后が政権をひきつぐと、司馬光が宰相となって、たちまち新法をやめてしまいました。安石は、1086年65歳で亡くなりますが、司馬光も亡くなり、やがて『新法』が復活する時代がやってくるのです。

なお、安石は文筆家としても有名で、唐宋八大家の一人に数えられ、その詩文は『臨川集』に収められています。多くの男性の中に女性が一人いることを「紅一点」というようになったのは、安石の言葉からです。


「11月11日にあった主なできごと」

688年 天武天皇葬られる…645年におこった大化改新の事業を完成させ、革新の気風あふれた白鳳文化を生んだ 天武天皇 が死後2年余りたったこの日に葬られました。

1620年 メイフラワーの誓い…2か月前にイギリスのプリマス港を出航したメイフラワー号は、この日北メリカのケープコッドに到着。ピルグリム・ファーザーズ(巡礼始祖のことで、アメリカに渡ったイギリスの清教徒たち)と呼ばれる移民たちは船上で、自治の精神に基づき自由で平等な理想的な社会を建設することをめざす誓いをかわしました。こうして、1620年から1691年までの北アメリカにおけるイギリス植民地のさきがけとなるとともに、その精神はアメリカ民主主義の基となりました。

1840年 渋沢栄一誕生…幕末には幕臣、明治から大正初期にかけて大蔵官僚、実業家として活躍した 渋沢栄一 が、生まれました。

1881年 ドストエフスキー死去…「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」などを著し、トルストイやチェーホフとともに19世紀後半のロシア文学を代表する文豪で思想家の ドストエフスキー が、1881年に亡くなりました。

1918年 第1次世界大戦終結…前年アメリカ合衆国の参戦により、決定的に不利となったドイツは、この日休戦条約に調印。第1次世界大戦が終結しました。

1952年 ヘディン死去…87年の生涯を中央アジア探検にそそいだスウェーデンの探検家 ヘディン が、亡くなりました。

投稿日:2010年11月11日(木) 07:22

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)