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「ヨーロッパ統合の父」 ジャン・モネ

今日11月9日は、フランスの実業家・政治家で、欧州統合の父の1人といわれるジャン・モネが、1888年に生まれた日です。

第2次世界大戦後、西ヨーロッパでは、地域経済の統合によって、アメリカやソ連に対抗できるような第3の経済圏を形成しようとする動きが活発になりはじめました。特に1950年代以降、「ヨーロッパ建設」がフランス主導で展開しだしました。その中心となったのがコニャック商人出身で、経済官僚として戦時行政や第2次大戦後のフランスの近代化を推進したジャン・モネです。

1950年5月、シューマン仏外相は石炭・鉄鋼生産の欧州プール化構想「シューマン・プラン」を公表しました。このプランが、1952年ジャン・モネ起草による「欧州石炭鉄鋼共同体」(ECSC)設立につながりました。2つの世界戦争の遠因となったフランス・ドイツ間の伝統的な対立を解消し、戦争に不可欠な石炭と鉄鋼の生産を共同管理することによって、ヨーロッパの平和を維持する意図でした。参加国は、フランス、西ドイツ、イタリア、ベルギー、ルクセンブルク、オランダの6か国、石炭・鉄鋼業の共同市場構築や関税の撤廃が進み、加盟国の石炭・鉄鋼業は急速に発展しました。

ECSCの成功に、ヨーロッパでは地域経済の統合に弾みがついて、1958年には、「ヨーロッパ経済共同体」(EEC)、「ヨーロッパ原子力共同体」(EURATOM)を結成しました。

そして、1967年にはECSC、EEC、EURATOMの3共同体の機関が統一されて「ヨーロッパ共同体」(EC)が発足しました。当初は消極的だったイギリスも、1973年にデンマーク、アイルランドとともに加盟し、1981年にギリシャ、1983年にポルトガルとスペインがそれぞれ加盟しました。また1990年10月に東ドイツが西ドイツに編入され、旧東ドイツの領域が共同体に加わりました。

さらに、域内の人、物、サービスの流通に関する障害を取り除き、単一経済をめざしたECは、1993年に発効した「マーストリヒト条約」により「ヨーロッパ連合」(EU)を発足させました。

1995年にオーストリア、フィンランド、スウェーデンが加盟し、2004年には民主化が進んだキプロス、チェコ、エストニア、ハンガリー、ラトビア、リトアニア、マルタ、ポーランド、スロバキア、スロベニアが加盟し、EUは25か国が加盟する域内人口4億5000万人の巨大経済圏が誕生しました。2007年にはブルガリア、ルーマニアが加盟しました。

さらに、クロアチア、アイスランド、マケドニア、トルコ、アルバニア、モンテネグロ、セルビアが加盟申請しているので、いっそう拡大することは間違いありません。しかし、EU域内の経済格差が進んでいるため、経済状況の良いところへ人や物や金が集中し、均衡が取れにくくなっているのが実情です。

なお、ジャン・モネは1979年に亡くなりましたが、ヨーロッパの大学学長やヨーロッパ法の専門家で構成されている欧州大学院大学では「ジャン・モネ講座」を開講しています。この講座はヨーロッパ統合にかかわる研究や実習を行っていて、ジャン・モネ講座には、世界の大学から多額の資金が拠出され、主に法律学(EU法)、政治学、経済学を扱っています。


「11月9日にあった主なできごと」

1872年 太陽暦の採用…明治政府は、西欧の国ぐにならって太陽暦を採用しました。具体的には、明治5年12月3日を明治6年1月1日とすることで、太陽暦(新暦)に切りかわりました。これまでの日本の暦は、月の満ち干の周期をもとにした太陰暦(旧暦)が使われていました。

1876年 野口英世誕生…黄熱病・梅毒・狂犬病・蛇毒などの細菌の研究に、大きな成果をあげた 野口英世 が誕生しました。

1970年 ド・ゴール死去…フランス建国史上最も偉大な指導者のひとりと評価されている政治家 ド・ゴール が亡くなりました。

1989年 ベルリンの壁崩壊…第2次世界大戦に敗れたドイツの首都だったベルリンは、ソ連を中心とする社会主義国が管理する東ベルリンと、アメリカ、イギリス、フランスなどの資本主義国の管理する西ベルリンに分断されました。さらに1949年には、ドイツという国も社会主義国の「東ドイツ」と、資本主義の「西ドイツ」の2つに分かれてしまいました。1961年8月に作られた壁のために、行き来のできなくなった東西ベルリンでしたが、この日東ドイツ政府は通行を認めると発表。東西ドイツをへだてる象徴だった「ベルリンの壁」の崩壊がはじまりました。こうして、翌1990年10月3日にドイツは統一されました。

投稿日:2010年11月09日(火) 07:20

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)