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『暖流』 の岸田国士

今日11月2日は、小説家として『暖流』『双面神』などの作品、劇作家として『牛山ホテル』『チロルの秋』などの戯曲を著し、評論家・翻訳家・演出家としても活躍した岸田国士(きしだ くにお)が、1890年に生まれた日です。

1938年4月から9月まで『朝日新聞』に連載された、代表作『暖流』の内容は、次の通りです。
   
東京の山の手に志摩病院という大病院がありましたが、院長は病床にあり病院の経営は乱脈をきわめていました。院長は、まだ若いころに世話をしたことのある弁護士日疋(ひびき)祐三を呼びよせ、事務長をひき受けさせました。

日疋は経営再建のために、病院内の反対派を敵にまわして、容赦なく経理をひきしめました。また、看護婦の人権問題を遠慮なく訴えてくる看護婦の石渡ぎんを信頼して、病院内の敵味方の人脈をさぐらせました。やがて、ぎんは日疋を愛するようになります。

しかし日疋が愛しているのは院長の娘の啓子でした。アメリカ留学から帰国し、病院の内科医として勤務する啓子は、ぎんと小学校時代の同級生。貧しい育ちのぎんとは対比的に、育ちのいい、近代的な教養と知性をもつお嬢さんです。しかし、自分の正義感や理想論が人を傷つけることに気づかないようなタイプの女性でした。啓子は日疋の善意と行動力には感謝するものの、日疋の求婚には応じません。

病院は再建したものの、院長は亡くなって、自分の立場も微妙になった日疋は、啓子の忠告を受け入れてぎんとの結婚を決断します。浜辺で日疋からぎんと大陸に新天地を求めるという報告を受けた啓子は、頬を伝う涙をかくすために波打際の水で顔を洗い、にっこりと日疋を祝福するのでした……。


東京四谷に軍人の子として生まれた岸田国士は、陸軍士官学校を卒業。しかし、父の意にそむいて、東京帝国大学に進み、フランス文学を学びました。1919年に自力で資金をためてパリにわたり、演劇を研究して帰国しました。まもなく、戯曲『古い玩具』を書いて認められ、演劇界に出ました。1932年は『劇作』を創刊し、1937年には獅子文六、久保田万太郎らと文学座を結成するなど、演劇界の理論家、指導者として活躍しました。ルナールの『にんじん』の翻訳でも知られ、1954年にゴーリキーの『どん底』を演出中に亡くなりました。まさに、「演劇」に殉じた人生でした。

さて、オンライン図書館「青空文庫」では、岸田国士の評論など475点を読むことができます。ただし『暖流』などの代表作は著作権の関係か、掲載されていません。なお、岸田国士の長女は童話作家の岸田衿子、次女は女優の岸田今日子です。


「11月2日にあった主なできごと」

1288年 後醍醐天皇誕生…鎌倉幕府を倒すために失敗を重ねながらも、新田義貞、足利尊氏らの協力で1333年に成功して「建武の新政」を行なうも、尊氏の反乱にあって「南朝」を開くなど、波乱の生涯をおくった 後醍醐天皇 が生まれました。

1755年 マリー・アントアネット誕生…フランス国王ルイ16世の王妃で、フランス革命の際に国外逃亡に失敗、38歳の若さで断頭台に消えた悲劇の王妃 マリー・アントアネット が生まれました。

1942年 北原白秋死去…『赤い鳥小鳥』『あわて床屋』『からたちの花』など800編もの童謡の作詞を手がけた詩人・歌人の 北原白秋 が亡くなりました。

1973年 トイレットペーパー買いだめ騒動…10月におきた第四次中東戦争が引き金となり、第1次オイルショックと呼ばれる石油価格高騰がおこり、品不足への不安から全国のスーパーにトイレットペーパーを求める主婦が殺到しました。

投稿日:2010年11月02日(火) 09:51

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)