今日10月29日は、ハレー彗星(すいせい)が76年ごとにまわる彗星であることを予言して的中させた、イギリスの天文学者ハレーが、1656年に生まれた日です。
ロンドンの裕福な石鹸製造業者の子として生まれたエドモンド・ハレーは、幼いころから天文学や数学に興味をもち、オクスフォード大学で、天体観測術を学びました。大学卒業後は、南半球の恒星を研究するため南大西洋のセントヘレナ島を訪れ、3年近く観測を行って、南半球から見える341個の恒星について詳細に記録した『南天星表』を発表。既存の星図にこれらの南天の恒星を追加したハレーの業績は、高く評価されました。
その後も毎日のように天体観測をつづけていたところ、1682年に大きな彗星が夜空に現れました。この大彗星が、ケプラーらが観測した1456年、1531年、1607年に現れた彗星と同一天体ではないかと考えました。
そこで、ケプラーのとなえた惑星運動の法則を証明したいと、1684年に ニュートン を訪ねました。疑問をぶつけたところ、ニュートンが既に「万有引力」の存在により、この問題を証明していたことを知りました。ハレーはこの成果を発表するようにニュートンを説得し、これを受けて1687年『自然哲学の数学的諸原理』(プリンキピア)が執筆されました。しかし、出版を約束していた王立協会が資金難のためにかなわず、ハレーが経費を負担して、自費出版という形で出版されたのでした。
ハレーは、ニュートンの「万有引力」法則を使って大彗星の軌道計算をし、1705年に『彗星天文学概論』を発表。この著書の中で、大彗星は1758年に回帰することを予言したのでした。ハレー自身はこの回帰を待つことなく1718年に85歳で亡くなりましたが、予言の通り大彗星は現われ、これによってこの彗星は「ハレー彗星」と呼ばれることになりました。ハレー彗星は、惑星以外で太陽系を公転する天体が初めて確認された例でもありました。ハレー彗星は、その後も1835年、1910年、1986年と地球に近づいたのです。
ハレーは、恒星の固有運動や月の長年加速などを発見したり、地球物理学の分野では貿易風の研究、地磁気や磁極の研究なども行って、たくさんの科学的業績を遺した偉大な科学者でした。
「10月29日にあった主なできごと」
1815年 井伊直弼誕生…開国論を唱え「安政の大獄」を引き起こして尊攘派を弾圧、1860年「桜田門外の変」で水戸浪士らに殺害された江戸末期の大老 井伊直弼 が生まれました。
1922年 トルコ共和国宣言…オスマン帝国を倒したトルコは、この日共和国の成立を宣言。初代大統領にムスターファ・ケマルを選びました。アタチュルク(トルコの父)として、現在に至るまで、トルコ国民に深い敬愛を受けつづけています。
1929年 悲劇の火曜日…1920年代、永遠に続くと思われていたアメリカの繁栄に大ブレーキがかかりました。5日前(暗黒の木曜日)に1日1300万株が売られて株が大暴落したため、ニューヨークの取引の中心であるウォール街は、不安にかられた投機家でごったがえし、大損して自殺する人まであらわれました。さらにこの日1630万株も売られ、ウォール街最悪の日となって、午後には株式取引所の大扉を閉じました。株価はその後も売られ続け、世界中をまきこむ大恐慌となっていきました。
1945年 宝くじ発売…政府はこの日、戦後復興の資金集めのために、第1回宝くじの販売を開始しました。1枚10円、1等賞が10万円で副賞に木綿の布が2反、はずれ券4枚でたばこ10本がもらえました。評判が良かったために、翌年には賞金が100万円となりました。戦後数年間の宝くじには、敗戦後の物資不足を反映して、革靴、地下足袋、人口甘味料のズルチンといった景品がつき、1948年1等の副賞には木造住宅がつきました。