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『ピノキオ』 のコロッディ

今日10月26日は、世界的に知られる児童文学『ピノキオの冒険』を著したイタリアの作家コロッディが、1890年に亡くなった日です。

カルロ・コロッディは、1826年イタリアのフィレンツェに生まれました。本名は、カルロ・ロレンツィーニで、コロッディは、子ども時代を過ごした土地の名前からとったペンネームです。地元の小中学校に通い、ピノキオのように、わんぱくな少年時代をすごしたことが、『ピノキオ』を生み出す原動力となったようです。

修道会の学校を卒業後、1844年にフィレンツェの出版社に勤務しました。会社に出入りする知識人たちと知り合ううちに、愛国心や独立心にめざめ、雑誌への寄稿したり、作家としての活動を始めました。1848年におこった第一次イタリア統一戦争へ、義勇兵として参加したあとは、自分で新聞を発行したり、小説や評論などその執筆分野は非常に多岐にわたっています。

コロッディの関心は、まだ統一されていないイタリア国民が自国語の共通基盤をつちかうことに向けられました。やがて文学を通して、特にその未来をになう子どもたちを教育することが重要だと考えるようになり、1870年代後半から、フランスのペローの童話の翻訳したり、少年を主人公にした『ジャンネッチーノ』など、教訓的な童話を書いたりしました。

『ピノキオの冒険』は、1880年に「子ども新聞」に連載を開始するとたちまち評判になり、翌年出版されると、イタリアじゅうの幼児たちを夢中にさせました。グリムやアンデルセン童話にない、スピーディに次々に展開するで奇想天外なストーリーと、わんぱくで遊び好きで冒険心あふれた子ども心を、あやつり人形「ピノキオ」に託したところにありました。この作品にはあまり教訓的なところもなく、会話もいきいきしていて、コロッディのめざしたイタリア語の普及という点においても、大成功をおさめたといってよいでしょう。およその内容は、次の通りです。

親方から、おしゃべりをする不思議な木切れをもらった大工のジェペットじいさんは、さっそくあやつり人形を作って「ピノキオ」と名づけます。この人形は、鼻をつけると、切っても切っても長くなり、口をつけると笑い出し、両足が出来て歩き方を教えると、いきなり外へ逃げ出しました……。ピノキオは、生まれながらのわんぱく者で、勉強と努力が大きらい、すぐにキツネやネコから聞いた美味しそうな話にだまされます。やさしい妖精にウソをついて鼻を長くされても、妖精やコオロギらの忠告にも耳を貸さず、何度となく焼かれそうになったり、殺されそうになったりします。でも、どんなに裏切られても、ジェペットじいさんはピノキオを心から愛していました。そして、サメのお腹の中で再会を果たした二人は、抱き合って喜び合います。限りない苦難を乗り越えてピノキオは、ようやく目をさまし、人間の少年になることができたのでした……。

『ピノキオの冒険』が世界じゅうに広まったのは、コロッディが亡くなってからでした。20世紀に入って各国語に翻訳されるや、専門家たちからも高く評価され、いまも児童文学の名作として読み継がれています。

なお、『ピノキオ』は、いずみ書房のホームページで公開している「レディバードブックス100点セット」の29巻目「ピノキオ」(抄訳版)の日本語訳を読むことが出来ます。


「10月26日にあった主なできごと」

1909年 伊藤博文死去…尊王攘夷運動をへて維新後明治政府に入り、初代総理大臣として明治憲法の制定に努めた 伊藤博文 が、日韓併合の一歩をふみだすなか、朝鮮の独立をめざす青年に暗殺されました。

1963年 日本初の原子力発電…茨城県東海村の日本原子力研究所が日本で初めて原子力発電を行ないました。これを記念して、政府は1964年から10月26日を「原子力の日」と制定しました。

投稿日:2010年10月26日(火) 07:11

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)