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「享保の改革」 と徳川吉宗

今日10月21日は、江戸幕府第8代将軍で、「享保の改革」という幕政改革を断行した徳川吉宗が、1684年に生まれた日です。

徳川幕府は、代々徳川本家が将軍をついでいくようになっていましたが、万一将軍に跡とりがなかった場合のために、「御三家」という将軍家に次ぐ地位をおきました。徳川家康 の9男に尾張を、10男に紀州を、11男に水戸を配置させたため、尾張・紀州・水戸を「御三家」といいます。

吉宗は、この御三家のひとつ紀州藩の第2代藩主の4男として生まれました。しかし、母親が農民の出身だったために、1697年、越前国(現・福井県北部)に3万石を与えられました。

吉宗は、この越前で生涯を終えるはずでしたが、兄のひとりは生後すぐに亡くなり、さらにふたりの兄たちが相次いで亡くなったため、1705年21歳で紀州藩55万石の藩主に抜擢されました。当時の紀州は農作物の出来が悪い年が続きましたが、吉宗は率先して倹約を心がけたため、家来たちをはじめ、農民や町民からも「かしこい殿様」とあおがれるようになりました。

そのころ徳川幕府では、7代将軍徳川家継がわずか8歳で亡くなり、徳川将軍家の男系がとだえてしまいました。御三家筆頭の尾張藩にも適当な人が見つからず、1716年、吉宗が大抜擢されて、第8代将軍に就任したのです。

吉宗は、紀州藩主時代の藩政を幕政に反映させ、6代将軍家宣時代に 新井白石 が中心になって行なった「正徳の治」を改めました。そして、幕府初期の質実剛健をむねとする大改革を断行しました。これが徳川幕府3大改革のひとつ「享保の改革」です。改革は、1745年に将軍職を第9代家重に譲るまでの30年間にわたって行なわれ、次の5点に要約されます。

(1) 武士に武芸を勧め、自ら質素倹約に努める。
(2) 大岡忠相青木昆陽、室鳩巣らを重用するなど優れた人物を起用して、政治改革に当たらせる。
(3) 「公事方御定書」など裁判の基準を設けて公正をはかる。
(4) 財政を整理し、産業おこし、新田開発を奨励する。
(5) 洋書の禁をゆるめ、蘭学の研究を命じる。

その他、市民の意見を取り入れるための「目安箱」を設置し、その声をとり入れて貧しい人たちの病院である「小石川養生所」をおいたり、町火消し制度をととのえるなど、江戸時代を代表する名君の一人と評価されています。

ただし、1732年にイナゴ害による大飢饉による米価の高騰により、各地の窮民が富商らの米蔵を襲う打ちこわしが発生しましたが、吉宗は、米の買占めを禁止する程度で、窮民の救済策などは行なわず、幕府の収入増をはかるために、農民たちの年貢取立てを強化しました。このように、吉宗の改革はあくまで幕府体制の安定をめざしたもので、民衆たちのものではなかったことを知っておく必要があります。

なお、吉宗の詳しい生涯につきましては、いずみ書房のホームページ・オンラインブックで公開している「せかい伝記図書館」第26巻「徳川吉宗」をご覧ください。


「10月21日にあった主なできごと」

1520年 マゼラン海峡発見…スペイン王の協力を得て、西回りで東洋への航路をめざしたポルトガルの探検家 マゼラン は、出発からすでに1年が経過していました。そして、この日南アメリカ大陸の南端に海峡(マゼラン海峡)を発見、7日後の28日に南太平洋に到達しました。マゼランは、翌年3月にフィリピンで原住民の襲撃にあって死亡。9月に乗組員が世界一周を終えてスペインに到着したときは、5隻の船は1隻に、256名の乗組員はわずか18名になっていました。

1805年 トラファルガーの海戦…スペインのトラファルガー岬の沖で、ネルソン 率いるイギリス海軍がフランス・スペイン連合艦隊に勝利しました。しかし、旗艦ビクトリア号で指揮していたネルソンは、狙撃されて死亡。

1857年 ハリスが将軍に謁見…アメリカ駐日総領事ハリスは、大統領ピアースの国書をたずさえ、江戸城で13代将軍徳川家定に謁見。イギリスに侵略されるより、アメリカと修好通商条約を結ぶよう老中らを説得しました。

1871年 志賀直哉死去…長編小説「暗夜行路」などを著し、武者小路実篤とともに「白樺派」を代表する作家 志賀直哉 が亡くなりました。

1882年 東京専門学校開校…4月に立憲改進党を結成して総理となった 大隈重信 は、自己の別荘地早稲田に85人の学生を擁する東京専門学校(1902年に早稲田大学と改称)を設立。学問の独立による自由精神の育成をめざすことになりました。

投稿日:2010年10月21日(木) 07:27

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)