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『ガリバー旅行記』 とスウィフト

今日10月19日は、『ガリバー旅行記』などを著した諷刺作家、随筆家のスウィフトが、1745年に亡くなった日です。

1667年、ジョナサン・スウィフトがアイルランドのダブリンに生まれたとき、父はすでになく、母からも捨てられ、おもに伯父の手で(本人いわく)「犬のように」育てられました。ダブリンのカレッジに入学したものの、怠惰な学生で、卒業して学位をとれたのもやっとのことでした。

ロンドンに出て、母方の遠縁にあたる政治家のもとで秘書になり、政治家をめざしながら論客として活躍しました。しかし、1714年の政変でダブリンへ帰って司祭に転進。やがて詩を書いたり、風刺小説を書くようになりました。いっぽう、仮名を使ってパンフレットを次々に出して、アイルランドに対するイギリスの貨幣政策などを徹底的に攻撃したことから、おたずね者として首に賞金をかけられたこともありました。

1726年に代表作となる『ガリバー旅行記』を著しました。この物語は、第1部「小人国」(わずか20cmしかない小人たちの住むリリパットという国に漂着するガリバー。安らかな生活を楽しむうち、敵国との争いにまきこまれてしまう話)、第2部「大人国」(身長12〜13mもある大人国に漂着し、見世物にされてしまいますが、王妃に買い取られて可愛がられる話)、第3部「変わり者の国」、第4部「馬の国」の4部で構成されています。もともと大人向けに書かれたものですが、「第1部」と「第2部」の奇想天外なストーリーの展開に、世界じゅうの子どもたちに支持され、今も読みつがれています。

しかし、スウィフトがこの物語を書いたねらいは、当時のイギリスの政治、社会、宗教などを厳しく批判したり、からかったりすることでした。特に第4部の「馬の国」では、馬が万物の霊長で、一番知恵があり、徳があり、礼儀正しく、人間は一番いやらしい生き物として、その悪について徹底的にやっつけています。

あまりの風変わりな内容に、人びとの怒りをおそれた出版社では、初版を出した際に手直しして出版しましたが、改変されたことを知った読者の要望は強く、9年後に完全版が出版されたということです。

スウィフトの晩年はみじめなものでした。20代からめまいと難聴に悩んでいましたが、50代からさらに悪化して、晩年の15年ほどは狂気の予感にもおびえ、記憶力がなくなって、まったくの廃人状態になってダブリンで亡くなりました。

なお、『ガリバー旅行記』は、いずみ書房のホームページで公開しているオンラインブック「レディバード100点セット」の56巻目『ガリバー旅行記』(第1部と第2部のリライト版) を日本語訳で読むことができます。また、オンライン図書館「青空文庫」では、原民喜訳 で全文を読むことができます。
 

「10月19日にあった主なできごと」

1936年 魯迅死去…20世紀初頭の旧中国のありかたやみにくさを鋭く批判した『狂人日記』『阿Q正伝』を著した 魯迅 が亡くなりました。

1937年 ラザフォード死去…イギリスで活躍した実験物理学者で「原子物理学(核物理学)の父」と呼ばれる ラザフォード が亡くなりました。

1956年 日ソ国交回復…「日ソ共同宣言」をモスクワで正式調印し、国交が回復することになりました。1951年に日本と連合国48か国とのあいだで講和条約が成立していましたが、ソ連がこの条約調印しなかったため、国交がとだえたままでした。これにより、日本は国際連盟に加盟することができました。

1987年 ブラックマンデー…ニューヨークの株式市場で、株価が22.6%の下落という史上最悪の下げ幅を記録し、世界各国の経済を大混乱におとしいれました。

投稿日:2010年10月19日(火) 07:30

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)