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コンチキ号とハイエルダール

今日10月6日は、いかだ船「コンチキ号」をこしらえて、ポリネシア人のルーツを解明したことなどで知られるノルウェーの人類学者、海洋探検家 ハイエルダールが、1914年に生まれた日です。

トール・ハイエルダールは、ノルウェー南部ラルビーという港町に生まれました。子どもころから早くも動物学に興味を持ち、全長1mもの有毒ヘビを、自宅で飼うほど熱中しました。

1933年オスロ大学動物学科に入学し、動物学、地理学、民族学を学ぶうち、ポリネシアの文化と歴史に強い関心をおぼえました。たまたま知り合ったオスロの豊かなワイン商人の援助をえて、ポリネシア、アメリカ大陸、東南アジア関連の書物や研究書をたくさん収集しては、熟読しました。

その結果、従来の [ポリネシア人は東南アジアからやってきた] という説に疑問をもつようになりました。そこで、ポリネシア人は南アメリカから移り住んだという仮説を発表したのです。しかしこの説は学会から大反対にあいました。むかしの技術では、南米とポリネシアを船で行き来することなど、とうてい不可能だというのです。

ハイエルダールは、自説が正しいことを証明しようと思いつきました。そこで、有史以前から南米のインディアンが使っていたバルサ材で、航海用のいかだ船を作ったのです。これが、世界中で有名になった「コンチキ号」です。1947年、ハイエルダールはその船で6人の乗組員と共にペルーを出航、ポリネシアのツアモツ諸島へ向かいました。

まことに危険な100日間の漂流航海の末、ラロイヤ島につきました。そして、この探検記を『太平洋のアメリカ・インディアン』という書物に著しました。この本の中で、ポリネシアに最初に住みついたのは南米のペルーからやってきた人たちで、その時期は西暦500年ころ、1000年から1300年には北米の北西海岸の人々も、この島に移ってきたとしました。

自説のさらなる裏づけのために、ハイエルダールは1953年、ノルウェー考古学探検隊を率いてガラパゴス諸島へ向かいました。この探検で古代アメリカ・インディアンの遺物を発見し、理論の正しさを証明したのでした。

ハイエルダールの研究と探検は、他の地域にも拡がっていきました。イースター島にある石造群など3つの時代の文化の存在とその証明、古代エジプト人がパピルス(葦)船で大西洋を横断する能力があったことを葦船「ラー号」「ラー2世号」をこしらえた上、それを実践して証明、紀元前3000年頃から行なわれていた古代メソポタミア民族と、北東アフリカから現在のインドやパキスタン周辺に広がる文化圏との文化的な交流についての解明など、たくさんの文化人類学的業績を遺して2002年、87年間の勇気と冒険心あふれた生涯を終えました。


「10月6日にあった主なできごと」

1866年 孫文誕生…「三民主義」 を唱え、国民党を組織して中国革命を主導し、「国父」 と呼ばれている 孫文 が生まれました。

1954年 尾崎行雄死去…明治・大正・昭和の3代にわたり、憲法に基づく議会政治を擁護し、清廉な政治家として活躍した 尾崎行雄 が亡くなりました。

投稿日:2010年10月06日(水) 07:46

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)