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「量子論の父」 プランク

今日10月4日は、量子論の創始者として知られるドイツの理論物理学者プランクが、1947年に亡くなった日です。

マックス・プランクは1858年、ドイツ北西部の町キールに生まれました。少年時代、母親の影響からピアノ演奏に関しては、プロ級の才能を示したといわれていますが、音楽家をめざすことなく、17歳でミュンヘン大学に進学しました。専攻は数学でしたが、次第に熱力学に興味を覚えるようになりました。

しかし、大学での授業内容に違和感をおぼえてベルリン大学に転校、この分野の大家であるヘルムホルツ、キルホフなど世界的な物理学者に師事して1879年学位を取得しました。ミュンヘン大学講師となった1885年には、ゲッティンゲン大学の懸賞に応募して「エネルギー保存の原理」を発表し、これらが認められキール大学教授、ベルリン大学教授などを歴任しました。

プランクは、熱力学、熱輻射という難しいテーマに挑戦しつづけました。当時、熱せられた物体から出てくる熱輻射について、はっきりした法則は発見されていませんでした。プランクは、「あせらず、休まず」という信念で研究を続け、ついに1900年、「エネルギー量子」という新しい仮説を発表しました。この量子という考えは、物理学における革命ともいうべき理論でした。

光のエネルギーが、ある最小単位の整数倍の値しか取ることが出来ないという、放射に関する仮説「プランクの法則」を導きだし、この過程で得られた光の最小単位に関する定数は「プランク定数」と名づけられ、「エネルギー分布則」とともに物理学における基礎定数の一つとなっています。

量子に関するこれらの仮説は、後にアインシュタインらによって確立された、原子の内部のさまざまな現象を調べる「量子力学」の基礎となるもので、この業績からプランクは1918年に、ノーベル物理学賞を受賞しました。

プランクは、研究者として優れた業績を残しましたが、勇気のある人でもありました。科学の総合研究所として世界的に知られている「カイザー・ウィルヘルム研究所」(後の「マックス・プランク協会」) の所長だったとき、独裁者ヒトラーが政権をとって、ユダヤ人に対する迫害が始まりました。アインシュタインらユダヤ人の優秀な学者をつぎつぎに迫害、追放したのです。これに対し、プランクはヒトラーに直接面会を求めて抗議しましたが、ヒトラーはプランクの忠告をまったく受け入れようとはしませんでした。

晩年のプランクは不遇でした。1943年にはベルリン空襲によって家を失って、妻とともにエルベ河畔に疎開しました。また、1944年にはヒトラー暗殺計画に加わったかどで次男が処刑され、自身も「国賊の父」とされたのでした。


「10月4日にあった主なできごと」

1669年 レンブラント死去…「夜警」 「フローラ」 「自画像」 など数々の名画を描き、オランダ最大の画家といわれる レンブラント が亡くなりました。

1814年 ミレー誕生…『晩鐘』や『落ち穂ひろい』などの名画で、ふるくから日本人に親しまれているフランスの画家 ミレー が生まれました。

1957年 初の人工衛星…ソ連が世界初となる人工衛星「スプートニク1号」の打ち上げに成功しました。これ以降、アメリカとソ連の宇宙開発競争が激しさを増していきました。

投稿日:2010年10月04日(月) 09:27

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)