今日10月1日は、募金をすると赤い羽根がもらえる「赤い羽根共同募金」がスタートする日です。10月1日から12月31日までの間、主に各市町村の共同募金支分会を経由して自治会や学校、企業で募金を募り、めぐまれない人たちへの社会福祉に役立たれています。
日本にこの共同募金がはじまったのは、GHQ総司令官のマッカーサーが、フラナガン神父の名で知られる聖職者を1947年に日本に招き、戦後日本の戦災孤児や、中国大陸や満州から引き上げてきた孤児たちをどのように指導したらよいかについて、助言を求めたことがきっかけでした。
フラナガン神父は、少年の非行化は、社会環境を改善することで防止できると確信していました。その信念を実践するために、1912年、ネブラスカ州のオマハ市郊外に160エーカーの土地を求め、「少年の町」という少年たちの更生自立支援施設をこしらえました。献身的な指導によって少年たちを教化善導したため、「平和の使徒」とよばれていました。
神父は、アメリカのオハイオ州クリーブランドで民間社会事業資金募集に成功している「共同募金」を提案し、まず長崎、佐賀、福岡で始めたのが「赤い羽根助け合い共同募金」でした。その後、1951年に社会福祉事業法が制定されて、各都道府県単位に共同募金委員会が作られ、全国的な運動になりました。集められた募金の多くは、高齢者や障害者に対する福祉の充実のために、基本的に寄付した都道府県内で使われています。
ところで「共同募金」は、スイスの山間から始まったといわれています。ある村の牧師がポストのような木箱を道端の立ち木に打ちつけ、その上に「投げよ、とれよ」と書きました。お金のある人は、この箱に入れ、ない人はそれを持っていくようにしたのです。
こういう自発的な行為が本来のあり方なのに対し、最近では「自治会の当番」として共同募金の戸別募金にまわるような、なかば強制されてしまう傾向も一部にあり、集金した金の配分額や、決定プロセスが不透明といった指摘もあって、募金総額は減少傾向にあるようです。
「10月1日にあった主なできごと」
1600年 石田三成死去…豊臣秀吉の家臣で、秀吉の死後徳川家康と覇権を争い、天下分け目の「関ヶ原の戦い」に敗れた 石田三成 が亡くなりました。
1847年 中江兆民誕生…「東洋のルソー」とよばれ、自由民権思想を広めた明治期の思想家 中江兆民 が生まれました。
1949年 中華人民共和国成立…第2次世界大戦中、共産党の毛沢東は国民党の蒋介石と力を合わせて、日本との戦争に勝ちました。ところが、蒋介石はアメリカと組んで共産党をしりぞけようとしたため、3年にわたる内戦がはじまりました。その結果、蒋介石は台湾においやられ、この日毛沢東を主席とする新しい中国(中華人民共和国)が生まれました。中国の人たちはこの日を「国慶節」(建国記念日)と決めて、毎年にぎやかなお祭りが行なわれます。
1964年 東海道新幹線開業…10日にはじまる「東京オリンピック」に間に合わせるために、この日開業。それまで東京─大阪間は特急で6時間50分かかっていた時間を3時間も短縮しました。当時は東京・新横浜・小田原・熱海・静岡・浜松・豊橋・名古屋・岐阜羽島・米原・京都・新大阪の12駅。開業初日の大阪─東京間、乗客がビュッフェ車にあった速度計に注目したため、運転士は張り切りすぎて、直線区間では最高時速200kmのはずが210kmで連続運転しました。そのため、新横浜駅を予定より5分も早く通過してしまって、終点に着くころには山手線に抜かされてしまうほど速度を落とさなくてはならなかったというエピソードが残されています。