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乃木希典の殉死

今日9月13日は、陸軍大将乃木希典(のぎ まれすけ)が、静子夫人とともに、1912年に自殺した日です。遺体のそばに、崩御してまもない 明治天皇 の写真がおかれ、遺書の内容から「殉死」であることが判明し、当時の国民に大きな衝撃を与えました。

乃木希典は、1879年長州藩(山口県)の武士の子として生まれました。16歳のときに伯父の玉木文之進の教えを受け、玉木が 吉田松陰 の門下であったため、間接的に松陰の影響を受けました。幕府の長州征伐の際には、山形有朋らと 高杉晋作 らが結成した奇兵隊に入って幕府軍と戦いました。

明治になると、新政府の陸軍に入って戊辰戦争を戦い、1877年に少佐になった年には西南戦争がおこりました。田原坂の合戦で、乃木隊の旗手が、西郷隆盛 軍に軍旗を奪われたとき、乃木はその責任は自分にあると自殺しようとして止められた、というエピソードが残されています。

1886年には、軍制や戦術を研究するためドイツに留学、質実剛健なドイツ軍人の影響を受け、帰国後は質素で古武士のような生活をするようになりました。日清戦争(1894-95年)では旅団長として参戦、戦後の「下関条約」により植民地となった台湾の総督となって植民地支配を行ないました。

1904年におこった日露戦争では、第3軍の司令官として、旅順(中国北東部)の攻撃を指揮しました。とくに203高地ではロシア軍指令官のステッセル将軍との壮絶な戦いは有名で、日露両軍ともに戦死者5千人以上も出す戦いに何とか勝利はしたものの、2人の息子を失いました。乃木は、東郷平八郎とともに日露戦争の英雄、「聖将」と呼ばれました。

その後は、学習院の院長となって、皇太子や皇族たちの教育にあたりました。しかし、この「殉死」事件に対する評価はさまざまです。天皇に忠誠を誓う武士道的精神・軍人精神の極致として賞賛する人たち、国民に皇室尊敬の念を植えつけるにはあまりに大時代的という人たち、作戦の失敗をくり返して多くの部下をいたずらに死傷させた愚将の当然の結果という人たち……。

その評価はともかく、乃木はまさに「明治という時代に殉じた人」なのかも知れません。


「9月13日にあった主なできごと」

1592年 モンテーニュ死去…世界的な名著 「随想録」の著者として、400年以上たった今も高く評価されているフランスの思想家 モンテーニュ が亡くなりました。

1733年 杉田玄白誕生…ドイツ人の学者の書いた人体解剖書のオランダ語訳『ターヘル・アナトミア』という医学書を、苦労の末に『解体新書』に著した 杉田玄白 が生まれました。

1975年 棟方志功死去…仏教を題材に生命力あふれる独自の板画の作風を確立し、いくつもの世界的な賞を受賞した版画家 棟方志功 が亡くなりました。

投稿日:2010年09月13日(月) 08:00

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)