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幻想文学の泉鏡花

今日9月7日は、明治後期から昭和初期にかけて活躍した作家で、幻想と怪奇とロマンを綾なす『高野聖』『眉かくしの霊』などの作品や、新派の舞台でおなじみの『婦系図』『滝の白糸』などを著し、谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫らたくさんの作家に影響を与えた泉鏡花が、1939年に亡くなった日です。

1873年に鏡花は、彫金細工師の名工を父に、能楽の鼓の名流の娘を母に、金沢市に生まれました。両親から芸と神仏にたいする信仰をうけて育ちました。中学を卒業したころ、尾崎紅葉 の作品を読んで感銘を受け、紅葉の門下に入ることを志して上京しました。努力のかいがあって、18歳で入門を許されて、尾崎家での書生生活をはじめました。原稿の整理や雑用にあたるうちに紅葉の信頼をかちとり、指導を受けながら、小説の勉強を続けました。

紅葉のあっせんで、連載新聞小説などいくつかの作品を発表しましたが、不評のために自信を失い、一時帰郷したり、自殺を図ったことさえありました。しかし、1895年に発表した『夜行巡査』が、文芸評論家の田岡嶺雲の賛辞を得て、そのおかげで『外科室』が『文芸倶楽部』の巻頭に掲載されました。この2つ「観念小説」(世間の道徳や常識を批判した作品)によって鏡花は、文壇デビーを果たしたのでした。

1896年に「読売新聞に連載した『照葉狂言』は、少年時代の思い出や9歳でなくなった母への思慕にあふれる叙情物語で、鏡花特有の美しい文体が定着したといわれています。

そして、1900年に発表した『高野聖』以降は、ロマン主義的な作風になり、幻想的な作品を多く書くようになりました。さらに、『婦系図(おんなけいず)』『滝の白糸』『歌行燈』など、今も新派悲劇の代表作としておなじみの花柳界の作品を遺したことでも有名です。

なお、オンライン図書館「青空文庫」では、泉鏡花の上記代表作のほとんどを読むことができます。


「9月7日にあった主なできごと」

1533年 エリザベス一世誕生…1558年、25歳のときから45年間イギリスをおさめ、おとろえかけていたイギリスを、世界にほこる大帝国にたてなおした エリザベス一世 が生まれました。

1962年 吉川英治死去…「宮本武蔵」「新・平家物語」「新書太閤記」など人生を深く見つめる大衆文芸作品を数多く生み出して、国民的作家として高く評価されている 吉川英治 が亡くなりました。

投稿日:2010年09月07日(火) 08:23

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)