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ベトナムの 『ホーおじさん』

今日9月3日は、ベトナムの革命家で、フランス植民地時代からベトナム戦争まで、ベトナム革命を指導したホー・チ・ミンが、1969年に亡くなった日です。

ベトナムは、19世紀の中ごろからフランスに侵略され、1885年からは、国の全土がフランスの植民地になっていました。

「ベトナム民族のために、祖国を独立させなければだめだ」

1890年に生まれ、幼いころから国を愛する心をあたためてきたホー・チ・ミンは、祖国を救う志をたてて、21歳のとき、ベトナム中部のふるさとの村をあとにしました。そして、イギリス、フランス、中国、ソ連などで、苦しい労働や侵略国の圧迫と闘いながら、革命の思想を学びました。また、やがて革命の旗をかかげるときにそなえて、民族の自由をとなえる人びとの組織を育てました。

1939年、第2次世界大戦が始まりました。ホー・チ・ミンは、その2年後に、胸の灯をあかあかともやして、祖国へ帰ってきました。30年ぶりでした。このとき、ベトナムには、太平洋戦争に勝ち進んだ日本軍が侵入してきていました。

「フランス植民地主義と戦え。日本の帝国主義と戦え」

ホー・チ・ミンは、ベトナム独立同盟を結成して、立ちあがりました。苦しい戦いでした。1942年には、革命に反対する軍隊にとらえられ、1年以上のあいだ、くさりにつながれて各地をひきずりまわされました。しかし、屈しませんでした。

1945年、第2次世界大戦が終わると同時に、ベトナム民主共和国の独立を宣言して、初代の大統領となりました。独立宣言を読みあげるホー・チ・ミンの目から、熱い涙がこぼれました。

ところが、大きな困難が立ちふさがりました。ベトナムの植民地支配の権力をとりもどそうとするフランスが、南ベトナムと手をむすんで、またも、進入してきたのです。

「われわれは、二度と他国のどれいになってはならない」

ホー・チ・ミンは、民族の力をひとつにして戦いぬき、1954年に、フランス軍を打ち破りました。でも、戦争は、まだ終わりませんでした。フランスにかわって、こんどはアメリカが南ベトナムをあやつりながら、空軍による北ベトナム爆撃を開始して、戦いは、ベトナム戦争へ発展しました。

「ベトナムの統一と平和は、民族の力でなしとげるのだ」

ホー・チ・ミンは、民族の自由を叫んで戦いつづけました。しかし、1969年、戦いのとちゅうでたおれてしまいました。

79歳の生涯を革命にささげたホー・チ・ミンは、自分の幸せなど考えませんでした。いつも、すべてのベトナム民族を愛し、人びとから「ホーおじさん」と、親しまれました。戦争が終わり、ベトナム社会主義共和国が生まれたのは、1976年でした。


「9月3日にあった主なできごと」

1189年 奥州藤原氏滅亡…平泉(岩手県)を中心に藤原清衡・基衡・秀衡と3代、およそ100年も栄えた藤原氏でしたが、源義経 をかくまったために、源頼朝軍に滅ぼされました。清衡の建造した中尊寺金色堂(国宝)には、藤原氏4代のミイラが残されています。

1658年 クロンウェル死去…イングランド共和国の初代護国卿(王権に匹敵する最高統治権を与えられた職名) クロンウェル が亡くなりました。

1841年 伊藤博文誕生…明治時代の政治家で、初代、第5代、第7代、第10代内閣総理大臣になった 伊藤博文 が生まれました。

投稿日:2010年09月03日(金) 09:12

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)