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『夕鶴』 の木下順二

今日8月2日は、『夕鶴』『彦一ばなし』『絵姿女房』など、日本各地に伝わる民話を素材にした一連の「民話劇」を著した劇作家の木下順二が、1914年に生まれた日です。

『夕鶴』の内容は次の通りです。

与ひょうは、ある日ワナにかかって苦しんでいた一羽の鶴を助けました。後日、与ひょうの家を「女房にしてください」と一人の女性つうが訪ねてきます。夫婦として暮らしはじめたある日、つうは「織っている間は部屋をのぞかないでほしい」と約束をして、すばらしい織物を与ひょうに作ってあげました。つうが織った布は、「鶴の千羽織」とよばれ、知りあいの運ずの仲介で高値で売られ、与ひょうにもお金が入ってくる。その噂を聞きつけた惣どが運ずと共に与ひょうをけしかけ、つうに何枚も布を織らせました。

つうとの約束を破って惣どと運ず、さらに与ひょうは、織っているつうの姿を見てしまいます。そこにいたのは、自らの羽を抜いては織りこんでいく、まさにわが身をけずって織物をしている与ひょうの助けた鶴の姿でした。正体を見られたつうは、与ひょうのもとを去り、よたよたと空に帰っていくのでした……。

この話は、新潟県の佐渡に伝わる民話「鶴女房」をもとに作られたといわれています。しかし木下は、もとの民話にはない「お金」に取りつかれていく人間と「お金」を理解しない鶴を対比させることによって、作品の芸術性を高め、経済至上主義への批判を行ったといえます。


木下順二は、東京・本郷に生まれ、小学校から高校までを熊本ですごしました。1936年に東京帝国大学英文科へ入学、中野好夫のもとでイギリス演劇史や シェークスピア の文学を学び、戯曲の創作を志しました。第二次世界大戦中から民話を素材にした劇を書きはじめ、戦後『彦市ばなし』『三年寝太郎』などの民話劇を経て、1949年に『夕鶴』を発表して民話劇ブームをおこしました。『夕鶴』は、「つう役」の主演女優(山本安英)らにより400回もの上演をはたして、演劇の大衆化に寄与しました。

その後、ゾルゲ事件 を題材とした『オットーと呼ばれる日本人』、東京裁判を題材とする『神と人とのあいだ』などで戦後の日本演劇を代表する作家として活躍、反戦・平和運動にも積極的に参加し、2006年に死去しました。ロングセラー民話絵本『かにむかし』『わらしべ長者』『ききみみずきん』などの作者としても有名です。


「8月2日にあった主なできごと」

1922年 ベル死去…聾唖(ろうあ)者の発音矯正などの仕事を通じて音声研究を深めているうちに、磁石式の電話機を発明した ベル が亡くなりました。

投稿日:2010年08月02日(月) 09:11

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)