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連歌の宗祇

今日7月30日は、室町時代の連歌師で、和歌の西行、俳句の松尾芭蕉とともに漂泊の人といわれる宗祇(そうぎ)が、1502年に亡くなった日です。

日本で生まれた歌の一種に、連歌とよばれるものがあります。ふたり以上の人が、まえの人の句につづけて、次から次へ句をよみつらねていく歌です。別の名で「続き歌」ともよばれ、平安時代のころ生まれたと伝えられています。

宗祇は、この続き歌を、さらに大きく育て広めた、室町時代の連歌師です。生まれたところは、近江(滋賀県)とも紀伊(和歌山県)ともいわれています。幼いころのことはわかりません。若いうちに京都へのぼって禅宗の僧となり、30歳になったころから、連歌師への道を進みはじめました。

「こころざしを立てたのが、人よりも10年以上もおそかった。人の2倍も3倍も努力をしなければ」

宗祇は、何人もの師のもとへかよって、連歌だけではなく、和歌も、日本の古い文学も、漢詩も、さらに日本の国づくりのころから伝わる神のことなども学びました。連歌の心をきわめるには、深い教養と広い知識を身につけることが、たいせつだと考えたからです。そして、学問のかたわら歌をよみつづけて10年の歳月が流れたころには、連歌師宗祇の名は、貴族のあいだにも武士のあいだにも知られるようになっていました。

宗祇が46歳になった年に「応仁の乱」がおこり、京都の室町幕府を中心に諸国の武士が2つに分かれて、11年におよぶ争いがつづきました。長い争いに、京の都は、焼け野原に荒れ果てたということです。

宗祇は、このとき、京都と関東のあいだを何度も行き来しました。信濃(長野県)や越後(新潟県)や美濃(岐阜県)などへも足をはこびました。また、争いが終わってからも、周防(山口県)や筑前(福岡県)へ、さらに越後へと、旅をつづけました。宗祇がつくりだす連歌の美しさがしたわれ、また、宗祇の学問の深さが尊敬され、争いで心が荒れた地方の大名や豪族たちに、師としてむかえられたのです。都をはなれた旅の空の下では、町人や農民たちにも、連歌の楽しみを教え広めました。

いっぽう京都では、幕府の将軍や貴族の連歌会にまねかれて歌の心を説き、将軍には『源氏物語』など日本の古典の講義もおこない、さらに『新撰菟玖波集』などの句集もまとめました。

奥ぶかく上品で美しい連歌を愛し、文学を愛し、旅を愛した宗祇は、80歳をすぎて旅にでた途中、箱根(神奈川県)湯本の宿屋で、谷をわたる風に耳をかたむけながら、清らかな歌人の生涯を終えました。のちの俳人芭蕉は、この宗祇の心をしたって、句を旅のなかに求めるようになったのだということです。


「7月30日にあった主なできごと」

1818年 エミリー・ブロンテ誕生…19世紀半ばのイギリス文壇に花開いたブロンテ3姉妹シャーロット・エミリー・アンのうち、『嵐が丘』を著したエミリーが生まれました。

1863年 フォード誕生…流れ作業による自動車の大量生産に成功し「世界の自動車王」といわれる実業家 フォード が生まれました。

1898年 ビスマルク死去…プロイセン王の右腕として鉄血政策を推進し、1871年ドイツ統一の立役者となった ビスマルク が亡くなりました。

1911年 明治天皇死去…王政復古をなしとげ、近代国家の形を整えた 明治天皇 が亡くなり、大正天皇が即位しました。

1947年 幸田露伴死去…『五重塔』などを著し、尾崎紅葉とともに「紅露時代」と呼ばれる時代を築いた作家 幸田露伴 が亡くなりました。

1965年 谷崎潤一郎死去……『細雪』『春琴抄』『痴人の愛』などの小説や『源氏物語』現代語訳を著した作家の 谷崎潤一郎 が亡くなりました。

投稿日:2010年07月30日(金) 09:10

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)