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少年小説のケストナー

今日7月29日は、『エミールと探偵たち』『飛ぶ教室』などの児童文学で名高いドイツの作家・詩人のケストナーが、1974年に亡くなった日です。

代表作『エミールと探偵たち』 のあらすじは次の通りです。

実業学校に通う母子家庭のエミールは、休暇を利用してベルリンにいるおばあさんやいとこに会いに行くことになりました。ところが、エミールは乗っていた汽車の中でいねむりをしているすきに、母からあずかったおばあさんに渡す金を、相席だった山高帽の男にすられてしまいました。

男を追ってベルリン市内の駅に降り立ったエミールでしたが、そこは目的地ではなく、所持金もないまま、とほうにくれてしまいます。行動を不審に思った少年グスタフが、エミールに声をかけ、わけを聞きだしました。

(地元でのいたずらが原因で、警察に知らせたくない)というエミールに、グスタフは仲間たちに声をかけ、犯人をつかまえる計画を練りはじめました。まず、エミールが到着しないのを心配するおばあさんへ事情を説明に行く少年。タクシーに乗りこんだ犯人を追い、宿泊先のホテルへ忍びこむ少年。近くの庭に隠れて機会を待つ少年たち。軍資金を用意して、少年たちをはげますエミールのいとこの少女。

ホテルのエレベーター・ボーイに扮した少年から、犯人がまもなく出発することを聞いた少年たちは、ホテルを出てきた犯人をとりかこんで歩きはじめました。進退きわまった男はかこみをやぶって、銀行に飛びこんで両替し、物証を消そうとしました。すかさず二人の少年が窓口でエミールから奪ったお札を銀貨に変えようとする男に「盗んだ金だ」というと、男はあくまでしらをきります。でもエーミールは家を出るとき、用心のためにお札をピンでとめておいたのでした。お札にピンのあとがある証拠に、山高帽の男は観念し、逮捕されました。さらに取調べにより、男は懸賞金がかけられていた手配中の悪党であることが判明したのでした……。


エーリヒ・ケストナーは1899年、ドレスデンでユダヤ系ドイツ人として生まれました。父親はカバン作りの手工業者でしたが、産業工業化のあおりを受けて工業労働者になり、母親も夫の少ない労働賃金をおぎなうために、理容師になって働きました。

教師をめざしたケストナーは、教師養成の中高一貫校に入学しましたが、第一次世界大戦がはじまったために、兵士として召集されました。命令と服従という関係しかない学校と軍隊に反発したケストナーは、大学進学を決めました。苦労してライプツィヒ大学を卒業した後、ベルリンに出て、2冊の詩集が認められ、やがて作家として一本立ちしました。そして、1928年に発表した少年文学『エミールと探偵たち』が評判をよび、その後次々と書き上げた作品も好評を博して、児童文学作家として世界的に有名になりました。

ところが、辛らつで、皮肉の強いパロディ、シニカルな多くの作品や、自由主義・民主主義を擁護してファシズムを非難したため、ナチスが政権を取ると、政府によって詩・小説、ついで児童文学の執筆を禁じられました。しかし、亡命する作家が多いなか、そんな仕打ちにあってもドイツにとどまり、2度の逮捕にもめげず活動をつづけました。

戦後も、『ふたりのロッテ』などを著し、ドイツ文壇の中心的存在となりました。1960年には『わたしが子どもだったころ』で優れた子どもの本に贈られる第3回国際アンデルセン賞を受賞しています。


「7月29日にあった主なできごと」

1856年 シューマン死去…「謝肉祭」 「子どもの情景」 などを作曲し、ドイツ・ロマン派のリーダーといわれる シューマン が亡くなりました。なお、有名な「トロイメライ」は、全13曲からなる「子どもの情景」の7曲目に登場する曲です。

1890年 ゴッホ死去…明るく力強い『ひまわり』など、わずか10年の間に850点以上の油絵の佳作を描いた後期印象派の代表的画家 ゴッホ が亡くなりました。

投稿日:2010年07月29日(木) 09:09

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)