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ゾルゲ事件と尾崎秀実

今日5月17日は、ソ連のスパイ組織が、日本国内でスパイ行為をしていたという「ゾルゲ事件」が公表され、1942年に大きく新聞報道された日です。5人のスパイのうちの一人が尾崎秀実(ほつみ)でした。尾崎は、近衛文麿内閣のブレーンとして政界に大きな影響を与えていた評論家で、軍部とも通じ、日中戦争を推進した元朝日新聞記者でもありました。

その報道の内容は、(スパイの指導者がドイツ人のリヒャルト・ゾルゲであること。ソ連のスパイ組織であるゾルゲや尾崎らのグループが日本国内で諜報活動および謀略活動を行っていた容疑で、太平洋戦争開戦前の1941年9月から1942年4月にかけて、警視庁の特高が逮捕した) というものでした。

ゾルゲが日本でスパイ活動を行なうようになったのはそれより10年も前のことでした。ソ連共産党機密部員でありながらナチス党員ということで日本へ入国、ドイツ政治学博士の肩書きももっていて、そのスパイ行為はかなり手のこんだものでした。

ゾルゲが尾崎と知り合ったのは、尾崎が朝日新聞社の上海支局に1928年から3年余り勤務した時代で、尾崎の情報量の豊富さに加え、尾崎が完全な共産主義者であることで、共感するものがあったのでしょう。尾崎は、ゾルゲがソ連共産党の機密部員であることを知った上で協力したことは事実のようで、その諜報活動を、同僚はもちろん妻にさえ隠し通し、逮捕されるまで正体が知られることはありませんでした。

このショッキングな報道後、多くの人は尾崎を「売国奴」呼ばわりしました。そして、国賊の汚名を着ながら1944年11月に、ゾルゲとともに死刑となったのでした。

しかし戦後になって、一部の人たちは「1939年6月から9月にかけ、日本がソ連に戦闘開始しようとする動きに対し、その防止に全力をつくした尾崎の行為は、真の平和を求める愛国心から出たものである」という評価も生まれています。


「5月17日にあった主なできごと」

1749年 ジェンナー死去…種痘を発明し、天然痘という伝染病を根絶させたイギリスの外科医 ジェンナー が亡くなりました。

1890年 府県制の公布…現在の都道府県のもととなる府県制が公布され、地方自治のもとができあがりました。しかし当時は、府県の知事は政府によって決められていて、公選となったのは1947年に「地方自治法」ができてからです。

投稿日:2010年05月17日(月) 09:05

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)