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日本近代医学の恩人・ベルツ

今日8月31日は、明治時代初期に日本に招かれたドイツ人医師で、26年にわたって医学を教え、日本医学界の発展に尽くしたベルツが、1913年に亡くなった日です。

明治新政府ができたとき、欧米の進んだ文化や学問や技術をとりいれて、いち早く欧米に追いつきたいと考えました。そのために、たくさんの外国人教師を招きましたが、そのなかでも特に立派な人格と優れた指導力で、日本人に大きな影響力を与えたばかりでなく、日本文化の研究をして海外に紹介した人たちも少なくありませんでした。そんななかでも、ベルツは第一級の人物で、これまでの日本の医学が蘭学中心だったのに対し、明治以降の西洋医学がドイツ中心になったのも、ベルツの影響といってもよいようです。

1849年に、南ドイツのビーティヒ・ハイムで生まれたエルウィン・ベルツは、チュービンゲン大学で医学を修め、ライプツィヒ大学で臨床を学びました。見習軍医としてプロイセン・フランス戦争に従軍後に復学して医学博士となりました。たまたま、ライプツィヒ大学病院に入院中の日本人留学生を治療したことで日本との縁が生まれ、1876年、東京医学校(現在の東京大学医学部)の教師として招かれました。

当初ベルツは、生理学を教えていましたが、内科、産婦人科を講じるようになりました。さらに、皇室の待医や、明治の元勲といわれる政治家たちの診療をしています。日本滞在は、2年間の予定でしたが、日本が気に入って、1881年には日本人の妻花子と結婚し、一男一女をもうけました。

こうしてベルツは1905年に、妻を伴って帰国するまで29年間日本に滞在しましたが、この間に記していたのが有名な「ベルツ日記」です。明治時代前半の生きた文化史ともいわれ、皇室、政治家からはじまって、一般市民の風俗や文化、意識構造までも細かく観察、分析した第1級の史的資料とされています。

そして、ベルツの日本における最大の貢献は、ドイツ医学の「研究」の方法論を800人以上もの学生たちに伝え、日本に多発していた寄生虫病、脚気(かっけ)などの究明に手をつけたことでした。いわばヨーロッパが生み出した近代科学の思想と方法を日本に体系的に伝えた最初の外国人といってよいでしょう。


「8月31日にあった主なできごと」

1957年 マラヤ連邦独立…19世紀後半からイギリスの支配下にあったマラヤは、マラヤ連邦として独立宣言をしました。なお、マラヤ連邦は、1963年にイギリス保護国だった北ボルネオ他と統合し「マレーシア」となりました。

1997年 ダイアナ妃交通事故死…イギリスの元皇太子妃ダイアナが、パリ市内で不慮の交通事故で亡くなりました。

投稿日:2010年08月31日(火) 08:51

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)