今日7月15日は、ローマ教皇ウルバヌス2世の呼びかけに応じた第1回十字軍が、1099年に聖地エルサレムを占領した日です。
11世紀の中ごろからの西ヨーロッパは、農業生産力が伸びたことから人口が増加して商業も活発になりました。経済的に余裕ができたカトリック信者たちは、さかんに聖地エルサレムを巡礼するようになりました。
ところが、エルサレムはイスラム教の聖地でもあり、当時はセルジューク朝が支配し、ビザンツ帝国の首都コンスタンチノーブルにせまる勢いでした。脅威を感じたビザンツ皇帝は、ローマ教皇ウルバヌス2世に救援を求めました。
これを受けて教皇は1095年、クレルモンで公会議を開き、「聖地エルサレムを異教徒の手から奪い返せ!」と演説をしました。教皇の激しい言葉に感動した人々は、西ヨーロッパ諸国を巻きこむ一大運動へ発展し、翌年この呼びかけに応えた諸侯や騎士たち、一般民衆も交えてコンスタンチノーブルに集結して十字軍を結成しました。
しかし、聖地奪回という大義名分のもとに集まった人たちでしたが、東西教会の統一をはかりたい教皇、武勲や戦利品をねらう諸侯や騎士たち、商圏拡大をねらう商人、贖罪や債務の帳消しを願う民衆ら、思惑のちがう人たちの集まりだったため、なかなか統一がとれません。それでも十字軍本隊は、1097年10月コンスタンチノープルとエルサレムの中間にあたる都市アンティオキアに到着して、これを包囲しました。8か月もの大苦戦の末に打ち破り、シリア海岸を南に下って、内輪もめしながらもエルサレムに近づきました。
聖都を目前にしてようやく協力しあうことができた十字軍は、イタリアからの武器などの補給もあって総攻撃を開始し、エルサレムを奪回することに成功しました。そしてここに「エルサレム公国」を打ち立て、さらに「アンティオキア公国」など十字軍国家と呼ばれる国家群をパレスティナとシリアに成立させました。
この十字軍は、巡礼の保護や聖墳墓を守るという目的を達成しただけでなく、占領地から得た宝物によって遠征軍は多くの富を得ることができました。さらに、この遠征は西ヨーロッパ諸国が初めて連携して共通の目標に取り組んだという点で、大きな意義がありました。
しかし以後2世紀、7回以上にわたる「十字軍」を名乗った運動で、当初の目的を達成することができたのは、この第1回目の十字軍だけでした。
「7月15日にあった主なできごと」
1606年 レンブラント誕生…「夜警」 「フローラ」 「自画像」 など数々の名画を描き、オランダ最大の画家といわれる レンブラント が生まれました。
1871年 国木田独歩誕生…「武蔵野」 「牛肉と馬鈴薯」 「源叔父」 などの著作をはじめ、詩人、ジャーナリスト、編集者として明治期に活躍した 国木田独歩 が生まれました。
1924年 黒田清輝死去…『湖畔』、『読書』などの作品を描き、わが国の洋画の発展に大きな功績を残した画家 黒田清輝 が亡くなりました。
1949年 三鷹事件…国鉄(JRの全身)中央線三鷹駅で、無人の電車が暴走して脱線転覆しながら線路脇の商店街に突入。男性6名が電車の下敷となって即死、負傷者20名を出す大惨事となりました。この事件は、同時期に起きた下山事件、松川事件と並ぶ「国鉄三大ミステリー」の一つとされています。