児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ Top >  今日はこんな日 >  朱印状と角倉了以

朱印状と角倉了以

今日7月12日は、豊臣秀吉、徳川家康の朱印状による安南(ベトナム)貿易で巨万の富を得、富士川、高瀬川などの河川開発を行なった角倉了以(すみのくら りょうい)が、1614年に亡くなった日です。

「おうーい。角倉船が、はいるぞぉ!」

見ると、沖あいから、帆をふくらませた大船が、こちらへむかって入ってきます。港は、商人と角倉船を見物しようとする人たちでにぎわっていました。

1592年、海外貿易で富を集めようと考えた 豊臣秀吉 は、京都、長崎、堺などの大商人たちに、朱印状をあたえました。朱印状というのは、外国と貿易をしてもよいという許可証です。朱印状をもらった了以の船は、おもに安南国(ベトナム)と貿易を始めました。

了以は、明(中国)に渡ったことのある名高い医者の吉田宗桂の子として、1554年に京都に生まれました。医者のほかに土倉業(金融業)もいとなむ豊かな家でした。

戦いにあけくれる戦国時代の世の中でしたが、了以の生まれる10年ほど前には、ポルトガル人によって鉄砲が日本にもたらされ、外国との貿易が活発になり始めたときでもありました。貿易に興味をもった了以は、医者のあとをつぐのは弟にゆずって、自分は商人になるこころざしを立てました。

京都の清水寺に、了以の安南国へ航海した船が、ぶじに帰ってきたことを感謝しておさめた絵馬が残っています。それを見ると、長さ約36メートル、幅約16メートルで397人乗りという大きな船でした。

この船に、銀貨をはじめ、銅、いおう、樟脳、家具などを積みこんで出航し、帰りには、生糸、絹織物、綿織物、香木、砂糖などを日本に運んできました。これらの品物で、了以は、たいへんな利益を得ることができました。
 
ところが、50歳を過ぎると、貿易のほうは息子の素庵にまかせて、河川開発にのりだしました。1606年、徳川幕府のゆるしを受けて、大堰川(京都の桂川・保津川の上流)の工事を手がけました。大石をとりのぞき、浅瀬を掘って、船が自由に通れるような水路をつくったのです。完成したのちは、この水路を使って、米や塩、木材などが運べるようになり、やすく物が手に入るようになりました。

1607年には、今度は幕府の命令で、富士川の工事をおこない、そのご、京都の賀茂川の水をふたつにわけて、二条から伏見に通じる運河をつくりました。これが高瀬川です。

了以は、1614年、60歳で世を去りましたが、息子の素庵が貿易とともに河川開発の事業もひきうけ、その子厳昭も貿易をついで、3代にわたって貿易業がつづけられました。


「7月12日にあった主なできごと」

1192年 鎌倉幕府始まる…源平の戦いで平氏に勝利した 源頼朝 は、征夷大将軍に任命され、鎌倉幕府を開きました。鎌倉幕府は、武士によるはじめての政権で、1333年に執権の北条氏が新田義貞らに滅ぼされるまでおよそ150年間続きました。

1925年 放送開始…東京放送局(のちのNHK)が、ラジオの本放送を開始しました。

投稿日:2010年07月12日(月) 08:39

 <  前の記事 『海潮音』 の上田敏  |  トップページ  |  次の記事 マラーの死  > 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://mt.izumishobo.co.jp/mt-tb.cgi/2114

コメント (1)

いつも楽しく観ております。
また遊びにきます。
ありがとうございます。

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

         

2014年08月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

月別アーカイブ

 

Mobile

児童英語・図書出版社 社長のこだわりプログmobile ver. http://mt.izumishobo.co.jp/plugins/Mobile/mtm.cgi?b=6

プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)