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『海潮音』 の上田敏

今日7月9日は、ベルレーヌらヨーロッパの詩人29人の作品57編を収録した訳詩集『海潮音』を遺した英仏文学者・上田敏が、1916年に亡くなった日です。

『海潮音』に収録された作品群の中でも、名訳として今も広く知られ、たくさんの人びとに愛唱されているのは、次の2編でしょう。

 山のあなた (詩 カール・ブッセ)

山のあなたの空遠く/「幸(さいわい)」住むと人のいふ。

噫(ああ)、われひとと尋(と)めゆきて/涙さしぐみかへりきぬ。

山のあなたになほ遠く/「幸」住むと人のいふ。


 落葉 (詩 ポール・ベルレーヌ)

秋の日の/ヴィオロンの/ためいきの/身にしみて/ひたぶるに/うら悲し。

鐘のおとに/胸ふたぎ/色かへて/涙ぐむ/過ぎし日の/おもひでや。

げにわれは/うらぶれて/こゝかしこ/さだめなく/とび散らふ/落葉かな。

上田敏は、1874年東京築地にもと幕臣(江戸幕府に仕えた武士)の長男として生まれました。父母ともに幕末から明治初めにかけて海外留学をしたことがある知識人だったことから、幼少時からヨーロッパの空気の満ちあふれた家庭環境のなかに育ちました。

東京英語学校、第一高等学校を経て、東京帝国大学(現在の東京大学)英文科に学びました。当時講師で上田敏の指導にあたった ラフカディオ・ハーン(小泉八雲) は「英語で自己を表現できる、1万人中ただ一人の日本人学生である」とその能力を絶賛したといわれています。

卒業後は、東京高等師範学校(現在の筑波大学)教授、八雲の後任として東大講師となり、1905年に上田敏の最大の業績となる『海潮音』を発表するにいたりました。上田の訳詩は原詩の逐語訳ではないといわれています。原詩をヒントにしたオリジナル詩集といえそうで、いかに上田が豊富な日本語を自在に駆使しながら訳詩したか、その苦労がわかるような気がします。

2年後の1907年に、上田はアメリカやフランスを訪問し、帰国後に京都帝国大学(現在の京都大学)の講師、さらに教授となりました。その間に評論『耶蘇』『詩聖ダンテ』、外国文学の翻訳集『みおつくし』などを発表しました。そして、1916年に亡くなるまでに自伝小説『うづまき』や自作詩と翻訳詩で構成した『牧羊神』などを著しています。

なお、『海潮音』は、オンライン図書館「青空文庫」で読むことができます。「燕の歌」(ダヌンチオ/詩)「春の朝(あした)」(ブラウニング/詩)「海のあなた」(オーバネル/詩)など、あらためて朗誦することをお勧めします。


「7月9日にあった主なできごと」

1854年 日章旗を船印に決定…徳川幕府は、「日の丸」を日本の船の印と決定しました。やがてこれが慣習化されるようになり、正式に国旗となったのは1999年「国旗国歌法」の公布以降です。

1922年 森鴎外死去…『舞姫』『山椒太夫』『高瀬舟』など明治・大正期に活躍した文学者 森鴎外 が亡くなりました。

投稿日:2010年07月09日(金) 08:09

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)