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壬申の乱

今日6月24日は、古代最大の内乱といわれる「壬申(じんしん)の乱」が、672年に始まった日です。

「大化の改新」以来、新しい政治をおこなってきた 中大兄皇子 は、668年都を近江に移し天智天皇となり、弟の大海人(おおあまの)皇子を皇太子に立てていました。しかし、病が重くなるにつれ、わが子である大友皇子を太政大臣につけて後継とする意思をみせはじめました。

そんな気配に大海人皇子は本心を隠し、大友皇子を皇太子として推挙、自ら出家を申し出て吉野宮(奈良県吉野)に下りました。671年10月のことでした。まもなく天智天皇が亡くなると、大友皇子 (明治時代に入ってから「弘文天皇」の名が贈られました) が後を継ぎました。

天智天皇の死が伝えられると、反旗をひるがえした大海人皇子は吉野を出て、伊賀、伊勢国を通り美濃にある自分の領地にむかいました。吉野を出たときは、わずか20人余りだった人数が、大海人皇子に味方する者が続々集まり、二人の息子(高市皇子・大津皇子)もかけつけて、決戦の準備をすすめました。

軍勢を二手にわけ、大和と近江の二方面に送りだす大海人皇子。いっぽう大友皇子は、東国や西国に兵力動員を命じる使者を派遣しましたが、大海人皇子の部隊にはばまれたため、近い諸国から兵力を集めました。

こうして1か月にわたる戦いがはじまり、大海人皇子側が優勢のうちに戦を進め、7月22日の瀬田橋の戦で大勝すると、翌日に大友皇子を自害においこみ、乱は収束しました。

翌673年2月、都を飛鳥に移した大海人皇子は、天武天皇 として即位しました。そして、論功行賞と秩序回復のため、八色の姓(やくさのかばね)の制定、冠位制度の改定などを行い、天智天皇よりもさらに中央集権制を進めていきました。


「6月24日にあった主なできごと」

1611年 加藤清正死去…豊臣秀吉 の家臣として仕え、秀吉没後は 徳川家康 の家臣となり、関ヶ原の戦いの働きによって熊本藩主となった 加藤清正 が亡くなりました。1562年に誕生した日でもあります。

1788年 田沼意次死去…江戸時代の中ごろ、足軽の子に生まれながら、側用人から老中までのぼりつめ、1767年から1786年まで 「田沼時代」 とよばれるほど権勢をふるった 田沼意次 が亡くなりました。

投稿日:2010年06月24日(木) 09:00

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)