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独ソの開戦

今日6月22日は、史上最大の死傷者を出した第2次世界大戦のうちでも「最大の戦い」といわれるドイツとソ連(独・ソ)戦が、1941年に開始した日です。

1939年9月にヒトラー率いるドイツ軍がポーランドに侵攻したのに対し、イギリスとフランス(英・仏)が宣戦を布告して第2次世界大戦は始まりました。開戦後のドイツは、周辺諸国を次々に占領し、1940年5月には北フランスに進軍し翌月には首都パリを陥れました。孤立した英仏軍はイギリス本土へ撤退、ドイツはフランスを降伏させました。この勝利に、イタリアもドイツ側にたって参戦しました。

こうして、ヨーロッパ17か国の軍隊をしたがえたドイツ軍は、2か月前に対ソ不可侵条約を結んだばかりのソ連に対し、何の宣戦布告することなく、2700機の空軍と400万の大軍を、北はバルト海から南は黒海まで攻めこみました。

このように当初は有利に展開させたドイツ軍でしたが、1942年から43年にかけてソ連第3の都市スターリングラード(現ボルゴグラード)でソ連軍の反攻にあって、劣勢に転じました。

3年間にわたる死闘のなかで、英仏ソ3国間の団結が強まり、1944年6月「史上最大の作戦」といわれる、17万6千人をノルマンディに上陸させるという秘密の作戦が功を奏し、3か月後にフランス国土の大部分を奪回しました。そして、1945年に入ると英仏連合軍はドイツ国内に侵攻し、4月にソ連がベルリンを包囲、ヒトラーの自殺ののち、5月にドイツは無条件降伏したのでした。


「6月22日にあった主なできごと」

1633年 ガリレオ終身刑…イタリアの物理学者 ガリレオ は、宗教裁判で終身刑を言い渡されました。当時、地球は動かず太陽が地球を回っているという「天動説」がローマ教皇庁の考えでした。しかし、ポーランドの天文学者 コペルニクス のとなえた「地動説」を支持、みずからの観測を重ねて本に著したことで、教会の怒りをかい、罰せられたのでした。(まもなくトスカーナ大公国での軟禁に減刑) 病身だったガリレオは、厳しい取調べに、天動説を認める書類に署名しましたが「それでも地球は動いている」とつぶやいたといわれます。なお、この判決が359年後の1992年、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世は、教会の誤りを公式に認めました。

1752年 雷は電気を証明…アメリカ独立に多大な貢献をした政治家、外交官、また著述家、物理学者、気象学者として多岐な分野で活躍したフランクリンが、たこを用いた実験で、雷が電気であることを明らかにしました。これがきっかけとなって避雷針を発明します。

投稿日:2010年06月22日(火) 09:00

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)