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名翻訳者・豊島与志雄

今日6月18日は、ユゴー 『レ・ミゼラブル』、ロマン・ロラン 『ジャン・クリストフ』などの翻訳、『天下一の馬』『てんぐ笑い』などの童話を著した作家 豊島与志雄(としま よしお)が、1955年に亡くなった日です。

豊島は、1890年福岡県に生まれました。東京大学仏文科在学中に、芥川龍之介菊池寛、久米正雄らと第3次「新思潮」を刊行し、その創刊号に処女作となる『湖水と彼等』を寄稿し注目され、続いて「帝国大学」に『彼と彼の叔父』を発表して文壇に認められ、卒業後は小説家として一本立ちする決意をしました。

ところが、小説で生計を立てるまでにはいたらず、生活のためにユゴーの『レ・ミゼラブル』の翻訳をしたところ、これがベストセラーとなって、暮らしのゆとりは生まれました。でも、めざす創作ではなかなか目が出ません。

以後、法政大学、明治大学、東京大学で仏文学を講じながら、数多くの小説、童話を発表しました。代表的小説集に『生あらば』『野ざらし』『道化役』『白蛾(はくが)』があり、雑誌『赤い鳥』他に発表した童話集に『夢の卵』『エミリアンの旅』などがあります。

広く知られているユゴーの『レ・ミゼラブル』、ロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』の翻訳は、名訳としての高く評価されていて、今も版を重ねています。

なお、豊島与志雄の作品は、『レ・ミゼラブル』『ジャン・クリストフ』の翻訳を含め、300編をこえる作品をオンライン図書館『青空文庫』で読むことができます。
 

「6月18日にあった主なできごと」

1815年 ワーテルローの戦い…フランス皇帝 ナポレオン1世 は、イギリス・オランダ連合軍およびプロイセン軍に「ワーテルローの戦い」で敗れました。

1940年 レジスタンス… ヒトラー 率いるドイツとの戦いに敗れ、首都パリが陥落すると、フランス軍将軍の ド・ゴール はイギリスへ亡命することを決断。ロンドンのBBCラジオを通じて、対独抗戦の継続と抵抗(レジスタンス)をフランス国民に呼びかけました。

1945年 ひめゆり学徒隊集団自決…太平洋戦争の末期、沖縄では一般市民を巻きこんだ地上戦が行なわれていました。この戦いで、負傷兵の看護を行なってい女子学徒隊は、この日軍に解散命令が出されため、アメリカ軍に包囲された洞窟内で、49名が集団自決しました。さらに沖縄戦終了までに、生徒123人、教師13人が亡くなりました。その霊をなぐさめ、悲劇を二度とくりかえしてはならないという願いをこめた「ひめゆりの塔」が、沖縄県糸満市に建てられています。

投稿日:2010年06月18日(金) 09:00

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)