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本能寺の変

今日6月2日は、天下統一を目前にした織田信長が、家臣明智光秀の謀反により自刃した事件「本能寺の変」が、1582年におきた日です。

この日 織田信長 は、京都の本能寺に宿をとって、中国地方の毛利氏を討つための準備をすすめていました。これまでに信長は、京を中心とした畿内とその周辺を手中に収め、甲斐の武田を滅ぼし、関東の北条、東北の伊達、九州の大友や島津なども信長に味方する姿勢を見せていたため、残る大きな敵は毛利氏でした。そこで、羽柴(豊臣)秀吉に命じて、中国に兵をすすめさせていたのです。

秀吉は、備中(今の岡山県)にせめこみ、高松城の水攻めをおこなっているところでしたが、なかなかはかどりません。毛利の援軍が高松城へやってくるという情報を受け取った秀吉は、信長に援軍の依頼をしたところでした。信長から応援を命じられた光秀は、1万3千の兵を従えて高松城へむかう途中、その進路を突然変えて、信長のいる本能寺を急襲したのです。

信長を守る兵は、わずか100名程度。光秀の軍勢は四方から本能寺を取り囲み、寺の中になだれこみ、あちらこちらに火をつけてまわりました。多勢に無勢、さすがの信長も弓や槍で応戦するも手のほどこしようがなく、燃えさかる火の中で、自刃せざるをえませんでした。

光秀はなぜ反旗を翻したのか、謎につつまれた事件であるだけに、さまざまな歴史家や文学者がその原因を推理して本に著していますが、光秀の信長への恨み説、光秀を操った黒幕説などいまだに定説といわれるものがありません。


「6月2日にあった主なできごと」
 
1716年 尾形光琳死去…江戸時代の中期、町人文化が栄えた元禄期を代表する画家で『紅白梅図屏風』『燕子花図屏風』などを描いた 尾形光琳 が亡くなりました。 

1882年 ガリバルディ死去…フランスやオーストリアなどに支配され、たくさんの国に分れていたイタリアを、イタリア王国として統一させた ガリバルディ が亡くなりました。

1953年 エリザベス2世戴冠…1952年にイギリス国王に即位したエリザベス2世女王の戴冠式が、ロンドンのウェストミンスター寺院で行なわれました。女王パレードには、100万人以上の人が歓迎したと伝えられています。元首の地位は名義的なものであっても、イギリス連邦の団結や各国との親善の役割には大きなものがあります。

投稿日:2010年06月02日(水) 09:08

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)