今日5月31日は、来月からサッカーのワールドカップが行なわれる南アフリカの地に、1910年「南アフリカ連邦」が成立した日です。
南アフリカのケープ地方は、17世紀の中ごろからオランダ人が開拓したところでした。入植した子孫たちはボーア人とよばれ、そこへイギリス移民の人たちが流れこんできて、ボーア人を追い払うようになりました。北へ逃げたボーア人は、新天地を求めてアフリカ大陸内部へ植民を開始し、1852年にトランスバール共和国、1854年にオレンジ自由国を設立し、黒人たちを使って農場を作ったり、鉱山をひらいたりしていました。
ところが、トランスバールに金鉱が、オレンジ自由国にダイヤモンド鉱山が発見されると、イギリスはまたボーア人の国々を奪おうとしました。ボーア人はこれに抵抗して1880年にイギリスに宣戦を布告、両国は戦争状態へ突入しました。優勢にみえたイギリス軍でしたが、土地勘のあるボーア人に敗れてしましました。(第1次ボーア戦争)
面目がつぶれたイギリスは、1899年の10月ごろから20万人もの大軍をこの地に集め、再度ボーア人へ戦争をしかけました。(第2次ボーア戦争) 人口50万兵力7万のボーア人ではとても太刀打ちできないと思われたものの、ボーア人たちはジャングルでゲリラ戦を挑んで抵抗を続けます。イギリスはさらに軍隊を45万人に増派し、3年半にわたる激戦の末ようやく両国を吸収し、金とダイヤモンドの産地を奪い取ることができました。しかし、非人道的な収容所や焦土作戦への国際的批判をあびたり、戦死者3万人を出し、払った犠牲は大きなものでした。
こうして、ボーア戦争の終了からちょうど8年後、南アフリカ連邦は成立しましたが、アフリカ原住民たちにとっては、支配者がボーア人から、イギリス人に代わっただけで、南アフリカの夜明けには、まだまだ遠い道のりがありました。
「5月31日にあった主なできごと」
1809年 ハイドン死去…ソナタ形式の確立者として、モーツァルトやベートーベンに大きな影響力を与え、104もの交響曲を作ったことで知られる古典派初期の作曲家 ハイドン が亡くなりました。