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「人間喜劇」 のバルザック

今日5月20日は、「ナポレオンは剣で、私はペンで!」とペンをふるい続け、『ゴリオ爺さん』『谷間の百合』『従妹ベット』など、90数編に及ぶぼう大な小説を書き上げ、その小説群を「人間喜劇」と総称したフランスの文豪バルザックが、1799年に生まれた日です。

オノレ・ド・バルザックは、1799年にフランスのトゥールに役人の子として生まれましたが、母親の愛にめぐまれず、生後間もなく乳母の手で育てられ、孤独な少年時代をすごしました。15歳の時に父の仕事がきっかけでパリへ引っ越し、生物学や生理学を学ぶようになりました。まもなくバルザックは創作活動をはじめますが、そんな視点から人間や社会を見るようになり、きれいごとで小説を飾ることをせず、ありのままに人間や社会を描く手法をとりました。そのためバルザックは、写実主義、自然主義の作家と評されています。

バルザックは、世間とは「だます人間とだまされる人間の集まり」であるといい、 (そのどちらにもならず、泥沼のような世間を見おろして、高次元の人生を生きよう) (上にへつらい、下にいばる、嘘だらけの哀れな人生だけはしたくない) というものでした。

しかし、生き方は破天荒なものだったようです。「世界の10大作家」にバルザックをあげたサマセット・モームによりますと、「著書を出す約束のもとに出版社から前金を受け取りながら、他に良い条件の依頼を受けると、前金の方をすっぽかして条件のよい方へ平気で渡す。そのために、契約違反で訴訟をおこされ、損害賠償をしなくてはならないために借金は増える一方だった。浪費癖も相当なもので、大きなアパートに住み、馬2頭、馬丁からコック、下男まで雇い入れ、食器も金銀のものをととのえ、勝手に他人の紋章で貴族出のものをしようした。(ちなみに名前にある「ド」も貴族をきどったもの) ……文字通り死ぬまで買い物をしつづけ、手当たり次第金を借り集めた。莫大な借金は、晩年に結婚したポーランド貴族の未亡人ハンスカ伯爵夫人の巨額の財産によって清算された」──とのことです。
 

「5月20日にあった主なできごと」

1498年 バスコ・ダ・ガマ新航路発見…ポルトガル国王にインド航路を開拓するよう求められていた バスコ・ダ・ガマ は、アフリカ南端の喜望峰を経て、この日インドのカリカットに到達しました。リスボンを出発からおよそ10か月でした。この航路発見により、ヨーロッパとアジアは船で行き来できるようになり、ポルトガルはアジアへ植民地を広げていきました。

1506年 コロンブス死去…スペインのイザベラ女王の援助を得て、ヨーロッパ人として最初にアメリカ海域へ到達したイタリア出身の探検家・航海者の コロンブス が亡くなりました。

投稿日:2010年05月20日(木) 09:02

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)