今日5月19日は、徳川幕府6代将軍家宣(いえのぶ)に仕え、優れた文治政治を行なった儒学者の新井白石が、1725年に亡くなった日です。
悪名高き「生類憐れみの令」を出し、犬公方というあだ名のついた5代将軍綱吉は1706年に64歳で亡くなりました。子宝に恵まれなかったため、綱吉の兄の子である綱豊が家宣と改名し、48歳で6代将軍となりました。この綱豊が甲府藩主だった30歳の頃から、家庭教師的な役割をしたのが新井白石でした。10数年のあいだ江戸屋敷の綱豊のもとへかよって、中国の孔子がまとめたといわれる『詩経』や『書経』などを説きつづけました。家宣は政治の相談役として、心から尊敬する白石を起用したのです。
家宣はわずか3年で病死してしまいますが、7代将軍徳川家継の代にも引きつがれ、およそ8年間「正徳の治」とよばれる政治を行ないました。金銀貨幣の改良による経済の安定、長崎貿易の緊縮による金銀の海外流出の制限、儀式の簡素化などの幕政改革はほめたたえられ、8代将軍吉宗の「享保の改革」に引き継がれています。
有能な学者でもあった白石は、将軍に講義した日本政治史『読史余論』、漂流してきた宣教師シドッチから聞き出した西洋事情の書『西洋紀聞』、自叙伝『折りたく柴の記』などの著作を残しています。
なお、白石の詳しい生涯につきましては、いずみ書房のホームページ・オンラインブックで公開している「せかい伝記図書館」第24巻「新井白石」をぜひご覧ください。
「5月19日にあった主なできごと」
1560年 桶狭間の戦い…織田信長は、尾張の国桶狭間 (おけはざま・現在の豊明市) で、わずか2千人ほどの兵力で4万5千の軍を率いる今川義元軍を打ち破って、いちやく戦国大名の中でも一目をおかれる存在になりました。
1645年 宮本武蔵死去…江戸時代初期の剣豪で、書画でも優れた作品を残した宮本武蔵が亡くなりました。