今日5月11日は、ほらふき名人といわれるドイツのミュンヒハウゼン男爵が、1720年に生まれた日です。男爵の語る奇想天外な話の数かずは、ラスペやビュルガーといったドイツ文学者が、男爵から直接聞いたと思われる人たちの出版物を中心に、新しい話もつけ加えられながらヨーロッパじゅうに広がっていきました。
中部ドイツのハーメルン近くの町に、名門貴族の5番目の子に生まれたミュンヒハウゼンは、15歳の時にある公爵のところに小姓として奉公に出されました。その後ロシアに住むこの公爵の兄の要請でロシアに移り住むことになりました。当時ロシアはトルコと戦争中で、ミュンヒハウゼンもこの戦役に加わり、その体験が「ほらふき男爵の冒険」のはじまりの章に出てきます。
さまざまな体験をした後、30歳になって故郷にもどってからは、親からゆずり受けた領地を治めながら、たずねてくる友人たちや客人を相手にほら話を、口からでまかせのように聞かせたため、「ほらふき男爵」の異名がついたといわれています。
たとえばこんな内容で、もちろん「私」が男爵です。
刈りを終えようとした私の目の前の湖に、カモが何十羽も泳いでいる。火縄銃には1発しか弾丸は残っていない。昼ごはんのベーコンが1枚残っているのを思い出した私は、そいつを麻なわの先に結びつけ、湖に投げこんだ。まさに思った通りのことがおこった。1羽のカモがベーコンを飲みこむと、ベーコンはすべっこいから消化不良のまま尻から出てきた。となりのカモがそいつを飲みこむ。出てきたヤツをその次のヤツがまた飲みこむ…。こうして長い麻なわについたベーコンは、1羽もあまさずカモの体内を通って、じゅずつなぎになった。
こいつは少し取りすぎたかと後悔しながら帰りかけると、生きていたカモたちはいっせいに羽ばたきをはじめた。いっしょに私も大空へ飛び立った。みなさんはびっくりして手を離すかもしれない。私は上着のすそでうまく舵をとって、わが家の真上へ到着させた。そこで1羽ずつカモの首を絞めると、私の身体はゆっくり降りて、わが家の煙突をつきぬけてかまどの中に落ちた。まあ、火の気がなくてよかったがね。料理人たちは、びっくり仰天しおったわ……。
ミュヒハウゼン男爵の冒険は続き、月・海底・地底旅行なども含めて、さまざまな場所に出かけては大活躍をします。死を目前にすること数限りなく、そのたびに冷静な判断と機知と幸運によって、危難を乗り越えます。韋駄天男、地獄耳男、千里眼男など、どれも昔話のひとつのパターンで、似たような話は、ドイツの民話を集大成した「グリム童話」にも、いくつか登場します。
上に紹介したカモのエピソードは、日本民話「かもとりごんべ」 (いずみ書房刊「せかい童話図書館」第20巻) とまさにうりふたつ。ぜひ比較してみてください。
「5月11日にあった主なできごと」
1891年 大津事件…日本訪問中のロシア皇太子ニコライ(のちの皇帝ニコライ2世)が琵琶湖見物の帰りに大津市を通ったとき、警備の巡査に突然斬りかかられました。この「大津事件」でロシアとの関係悪化を恐れた政府は、犯人の死刑判決を求めましたが、大審院(現在の最高裁判所)は政府の圧力をはねつけ「無期懲役」の判決を下しました。これにより日本の司法権への信頼が、国際的に高まりました。
1970年 日本人エベレスト初登頂…松浦輝夫と植村直己が日本人初となる世界最高峰エベレストの登頂に成功しました。