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喜劇王・チャップリン

今日4月16日は、『黄金狂時代』『街の灯』『モダンタイムス』『独裁者』『ライムライト』など山高帽にチョビひげ、ダボダボずぼん、ドタ靴、ステッキといういでたちで、下積みの人たちの悲しみや社会悪を批判する自作自演の映画で名高いチャップリンが、1889年に生まれた日です。

チャップリンは、ロンドンの貧民街で生まれました。両親はまずしい旅芸人でしたが、チャップリンが6歳のときに父が亡くなり、7歳のときには、母が苦しい生活のために精神病にかかって、病院へ入院するようになってしまいました。

のこされたチャップリンと兄のシドニーは、床屋の手つだいをしたり、マーケットの売り子をしたりして、いっしょうけんめいに働きました。でも、食べるのがやっとです。アパートの部屋代はとても払えず、公園のベンチや道ばたで、夜をあかしたこともありました。

やがて、母の病気はよくなり、まずしくても、母子3人いっしょにくらせるようになりました。そして12歳になったとき、チャップリンに幸せがおとずれました。母が、むかし歌手だったころの知人の世話で、「シャーロック・ホームズ」 という劇の子役に出演が決まったのです。でも、かんじんの自分のセリフが読めません。家に持って帰り一晩中かかって、母に読んでもらったセリフを暗記したのでした。学校へいっていなかったために、字が読めなかったのです。それからは、素晴らしい速さで、読み書きができるようになったばかりか、難しい本まで読めるようになりました。

母に心から感謝したチャップリンは、5年後には、こんどは兄のシドニーのおかげでカルノ一座という名高い劇団に入ることができました。ここで、チャップリンは、手品、ものまね、曲芸、歌や踊り、パントマイムの練習を重ね、喜劇俳優としての基本をしっかり身につけていったのです。

チャップリンの詳しい生涯につきましては、いずみ書房のホームページ・オンラインブックで公開している「せかい伝記図書館」第17巻 「チャップリン」 をぜひご覧ください。
 

「4月16日にあった主なできごと」

1397年 金閣寺完成…室町幕府3代将軍 足利義満 は、金閣寺の上棟式を行ないました。巨額の資金を投入した3層建で、下から寝殿づくり、武家づくり、仏殿づくりとなっています。1950年に放火による火事で全焼してしまい、1955年に再建されました。1994年、古都京都の文化財として世界遺産に登録されました。

1828年 ゴヤ死去…ベラスケスと並びスペイン最大の画家のひとりである ゴヤ が亡くなりました。

1972年 川端康成死去…「伊豆の踊り子」 「雪国」 など、生きることの悲しさや日本の美しさを香り高い文章で書きつづり、日本人初のノーベル文学賞を贈られた作家 川端康成が亡くなりました。

投稿日:2010年04月16日(金) 09:13

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)