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永遠の青年詩人・石川啄木

今日4月13日は、「はたられど はたらけど なおわがくらし 楽にならざり じっと手をみる」などたくさんの短歌や詩、評論を残し、民衆歌人、天才詩人といわれた石川啄木(たくぼく)が、1912年にわずか26歳で亡くなった日です。

1886年、岩手県盛岡市に近い村の住職の長男として生まれた石川啄木は、少年のころから利発な子で、中学時代には 与謝野晶子 の歌集『みだれ髪』などの影響を受けて、短歌や詩を作りはじめました。そして、中学を中退して上京してからの10年間に、郷里→東京→郷里→北海道→東京と、いくたびか転々としました。職業も文学者、新聞記者、村の小学校の代用教員、新聞社の校正係とさまざまでした。

でも、どれもなかかな認められず、病気や貧困に苦しみながら、その生活を短歌や詩にし、歌集『一握の砂』『悲しき玩具』に著しました。だれにもある生活、だれにもある気持を、だれにもわかる言葉で表現した作品の数々は、死後に認められて、日本人の、若者たちの心をとらえ続けています。

そんな、啄木の詳しい生涯につきましては、いずみ書房のホームページ・オンラインブックで公開している「せかい伝記図書館」第35巻 「石川啄木」 をぜひご覧ください。また、啄木の主要作品は、オンライン図書館「青空文庫」で読むことができます。


「4月13日にあった主なできごと」

1592年 文禄の役…1590年に全国統一をはたした 豊臣秀吉 は、中国の「民」を支配下におこうと、この日第1次出兵として加藤清正や小西行長らの率いる兵16万人を釜山に上陸させました。これは「文禄の役」といわれ、その後ソウルを陥落させましたが、ともに攻めあぐね、よく年休戦をしました。

1612年 巌流島の決闘… 宮本武蔵 と佐々木小次郎が、山口県の巌流島で、この日決闘を行ないました。武蔵は、約束の時間に遅れて小次郎をいらだたせ、「小次郎敗れたり」と叫んで相手の動揺を誘い、舟の櫓で一撃のもとに小次郎をたたきのめしたといわれています。この有名なシーンは、小説、映画、テレビドラマなどでおなじみです。

1743年 ジェファソン誕生…第3代アメリカ合衆国大統領で、イギリスからの独立宣言文を書いた ジェファソン が生まれました。

1818年 伊能忠敬死去…江戸時代後期の測量家で、16年もかけて日本全土の実測地図「大日本沿海輿地(よち)全図」を完成させた 伊能忠敬 が亡くなりました。

投稿日:2010年04月13日(火) 09:08

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)