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「新しき村」 の武者小路実篤

今日4月9日は、『友情』『愛と死』『真理先生』などの小説、人生賛美あふれる人生論を著した 武者小路実篤 が、1976年に亡くなった日です。

武者小路実篤は1885年、江戸時代以来の公卿の家系の第8子として、東京麹町に生まれました。

学習院初等科、中等科、高等科を経て、1906年に東京帝国大学哲学科に入学。1910年には、学習院高等科出身の文学グループを中心にして『白樺』という文芸雑誌が創刊されました。その中心になったのが武者小路実篤と 志賀直哉 で、ふたりともまだ東京帝国大学の学生でした。実篤は、直哉よりふたつ年下ですが、直哉が学習院の中等科で2度落第したため同級になり、しだいに親交を深めていきました。

実篤は若いときに トルストイ に夢中になり、かたかなのトという文字を見ただけで興奮してしまうというほれこみようでした。「からだを使って労働するのは人間の義務である」というトルストイの主張は、食べるのに困らない貴族の家に生まれた実篤に大きなショックを与えました。みんなが皆のために働くというトルストイの思想を旗じるしにして、実篤は、1918年36歳のときに、理想的な調和社会・階級闘争のない世界(ユートピア)の実現をめざして「新しき村」を創設しました。

宮崎県の山中に同志が集まり、農作業や芸術創造に打ちこむ生活は、当時の人びとの注目を集めました。ここで『幸福者』『友情』などの代表作を世に出しました。しかし、はじめに予測したほど順調な進展をみせず、実篤は6年あまりの努力ののち、同志を九州に残したまま村を離れ、いったん奈良に落ちついて文筆生活に専念します。村はのちに埼玉県毛呂山町に移され、今も活動を続けています。

『白樺』では美術館建設を計画し、1936年に欧米旅行してルーブル美術館などを訪ねて以来、美術にも関心が深く、たくさんの評論を著しています。また、晩年には、自ら絵筆をとり、人々に親しまれている独特の野菜や花などの絵に「この道より 我を生かす道なし この道を歩く」「仲良きことは美しき哉」「君は君 我は我なり されど仲良き」などの文を添えた色紙をこしらえたことは有名です。

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「4月9日にあった主なできごと」

752年 奈良大仏開眼…聖武天皇 の発案により完成した奈良の大仏の開眼供養会(魂入れの儀式)が行なわれました。1万人の僧がお経読む、盛大な儀式でした。

1865年 南北戦争終結…アメリカ合衆国の南北戦争は、1861年に北部23州と、南部11州の意見の食い違いからはじまりました。黒人のどれいを使うかどうかが主な対立点で、工業の発達していた北部はどれい制廃止、大きな農場主の多い南部はどれい制維持です。1860年にどれい制廃止を叫んだ リンカーン が大統領に当選すると、南部は、北部と分れて「アメリカ連邦」を設立して、戦争がはじまりました。当初は南部が優勢でした。1861年リンカーンは「どれい解放令」を出すと形勢逆転、1863年7月のゲッティスバークの戦いで決定的な勝利をした北部が主導権をにぎり、この日南部は北部に降伏し、5年にわたる南北戦争が終結しました。

投稿日:2010年04月09日(金) 09:28

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)