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『徒然草』 の吉田兼好

今日4月8日は、清少納言 の「枕草子」と並び、随筆文学の傑作「徒然草」(つれづれぐさ)を著した僧侶で歌人の吉田兼好が、1350年に亡くなったとされる日です。

木のぼりの名人が、男を高い木にのぼらせて枝を切らせているときのこと。名人は、男が高い枝の危険な所で仕事をしているときは、なにもいわないで、男が下のほうまでおりてきたときになって「用心しておりろ」と言いました。すると、これを見ていた人が「これくらいなら、とびおりることだってできるじゃないか。どうして注意するのだ」と、たずねました。

名人は答えました。

「枝が折れそうであぶないあいだは、気をつけます。だから、なにも注意する必要はありません。ところが、あやまちは、もうわけはないという気になったときに、おこるものです」

これは『徒然草』に記されている話です。人間のゆだんが失敗につながることを、おもしろく、いましめています。

「つれづれなるままに、日ぐらしすずりにむかひて……」

(何もすることがないのにまかせて、1日じゅう、すずりに向かって)という書きだしにはじまる『徒然草』の作者吉田兼好は、鎌倉時代の末期から、南北朝の争乱、室町幕府の設立へと、歴史の流れが激しく変わる不安な時代に生きた随筆家です。

兼好は、京都の吉田神社の、神官の分家に生まれ、本名を卜部兼好といいました。若いころは、後二条天皇に仕え、御所を警備する左兵衛佐という位にまでのぼりました。

ところが、後二条天皇が亡くなると朝廷をしりぞき、30歳のころ、出家して僧になってしまいました。朝廷と鎌倉幕府との対立や、朝廷の中での持明院統と大覚寺統との政権争いなどがわずらわしくなり、心のよりどころを仏教にもとめたのだろう、といわれています。このとき名を音読みにして法名を兼好としました。そのご、本家の吉田神社の神道がさかんになると、吉田兼好とよばれるようになったということです。

出家してからの兼好は、京都で修行をつみ、また、関東などへ足をむけて自由な旅を楽しみ、そのかたわら、歌人二条為世のもとへ入門して和歌を学びました。そして、40歳をすぎたころには、二条派の和歌四天王の一人にあげられるほどになっていました。ものごとを心で見つめ、その感動を歌にしたのです。

晩年は、京都の仁和寺の近くに住み、深い教養を身につけた歌人、随筆家、古典学者として、人びとにしたわれました。しかし、なんといっても、兼好の名を歴史に残したのは、随筆文学の傑作とたたえられる『徒然草』です。仏教、学問、芸術、生活などをとおして、人間の生き方がさりげなく語られ、いまも、おおくの人びとに読みつがれています。


「4月8日の行事」

花まつり (シャカの誕生日)…今日4月8日は、今から二千数百年も昔、仏教を開いた シャカ(釈迦・しゃか)が誕生した日と伝えられ、灌仏会(かんぶつえ)、降誕会(ごうたんえ)、仏生会(ぶっしょうえ)などといわれます。また、花の咲きにおう春に行なわれたことから「花まつり」とよばれて、日本各地のお寺では、花で飾った小さなお堂の中に、釈迦の誕生仏を安置して、お参りにきた人は甘茶をそそいでお祈りをする、はなやかな仏教の行事になっています。


「4月8日にあった主なできごと」

1147年 源頼朝誕生…平安時代末期に源義朝の3男に生まれ、平治の乱で敗れて伊豆へ流されるも平氏打倒の兵を挙げ、関東を平定して、はじめて武士による政権となった「鎌倉幕府」を開いた 源頼朝 が生まれました。

1820年 ミロのビーナス発見…ギリシアのミロス島で、ひとりの農夫が両腕の欠けた美しい大理石の女神を発見。島の名にちなんで「ミロのビーナス」と命名されました。古代ギリシア時代の一級彫刻作品として、パリのルーブル美術館が所蔵しています。
 
1973年 ピカソ死去…スペインが生んだ世界的な画家・版画家・彫刻家・陶芸家 ピカソ が、この日92歳で亡くなりました。

投稿日:2010年04月08日(木) 09:05

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)