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浄土真宗を開いた親鸞

今日4月1日は、『南無阿弥陀仏』と念仏をとなえれば来世で極楽浄土に生まれかわることができると説く「浄土宗」を開いた法然に学び、その教えを発展させて「浄土真宗」を開いた親鸞が、1173年に生まれた日です。

親鸞は「弟子は一人も持たない」と宣言していましたが、恵信尼との間に生まれた4男3女と暮らす親鸞を慕って、いつもたくさんの教えを請う人たちが周囲をかこんで修業にはげんでいました。

そんな親鸞に敵意を持つ他宗派の中に、山伏や祈祷をしながら生計をたてる弁円という男がいて、親鸞を惨殺する機会をうかがっていました。でも、なかなかそのすきがありません。

ある時、山の上から大石を親鸞めがけて落としましたが、門徒にこばまれ、静かに『南無阿弥陀仏』という念仏がかえってくるだけでした。ついに意を決した弁円は、酒をあおり弓矢を持って、親鸞の家を襲撃して叫びました。「やい、このくそ坊主。魚は食うは、女房はもらうは、子どもをはらませるは、それでもお釈迦さまに恥ずかしいとは思わぬか!」親鸞は、これに少しも動ぜず、板戸を開けて弁円を招きいれようとしました。妻子は息を飲んでなりゆきを見守っています。

「さあ、外にいては夜露にぬれて身体に毒だ。ゆっくり話し合おう。皆もおびえているようだから、こわくないと教えてくだされ」と親鸞はいいました。すると幼子たちが弁円の方へ歩きだしました。

この堂々とした親鸞の態度に、弁円は弓矢を投げ出して、弟子になったということです。

親鸞の詳しい生涯につきましては、いずみ書房のホームページで公開しているオンラインブック「せかい伝記図書館」第22巻 「親鸞」 をぜひご覧ください。


「4月1日にあった主なできごと」

1815年 ビスマルク誕生…プロイセン王の右腕としてドイツ統一をめざして鉄血政策を推進し、1871年にプロイセン王をドイツ皇帝として戴冠させ、ドイツ統一をなしとげた ビスマルク が生まれました。

1938年 国家総動員法の公布…1937年7月、北京郊外の盧溝橋での日中の衝突事件に端を発した日華事変は、急速に激化の一途をたどりました。広大な中国の山野で活動する大軍の需要を満たすため、この日国家のすべての人的・物的資源を政府が統制運用できる権限を規定した「国家総動員法」を公布しました。 

投稿日:2010年04月01日(木) 09:22

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)